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学校特集

捜真女学校中学部・高等学部2023(2)

“ありのままの自分”と出会える6年間が待っている

掲載日:2023年11月1日(水)

捜真女学校は中高一貫のミッションスクールです。137年前に、キリスト教を伝えるために海を渡ったアメリカ人宣教師により、横浜の地に創立されました。以来、生徒一人ひとりの存在を受け入れる「器」として存在し、「あたたかさ」を受け継ぎながら、社会が望む「型」にはめるのではなく、それぞれの個性や能力をのびやかに開花させる教育を実践しています。宗教主任の藤本忍先生は「自分の存在が受け入れられる、という実感が、安心につながり、自信をもてるようになる」と、話します。その先に待っているものは、どのような成長なのでしょうか。生の声をご紹介するために、同校卒業生の臼井恵夢さん(上智大学神学部神学科4年)と嶋岡永珠さん(上智大学法学部法律学科1年)にも加わっていただき、捜真女学校の根底にあるキリスト教教育についてお話いただきました。

捜真のキリスト教教育は、
自分と向き合い考えること

 臼井さん、嶋岡さんは、ともに公立小学校から中学受験を経て入学しました。志望校を探すなかで、どのように同校と出会ったのでしょうか。

捜真女学校_卒業生の臼井恵夢さん
卒業生の臼井恵夢さん

臼井さん:私はキリスト教そのものに馴染みがありました。親がミッションスクール出身で、仕事もキリスト教関係だからです。ただ、それを押しつけられることはありませんでした。自分で学校を選ばせてもらえたので、通学できる範囲の中でいろいろな学校を見学しました。ミッションスクール以外の学校にも行きましたが、小6の時に捜真の雰囲気がいいなと思い、その感覚を信じて捜真のみを受験しました。

嶋岡さん:私は最初から女子校志望でした。学校を探すうえでミッションスクールかどうかは特に気にしていませんでした。捜真に行ったのは最後の学校説明会でしたが、ボランティアスチューデント(以下、VS)の挨拶に惹かれて受験しました。

 VSは学生のボランティアグループです。学校説明会で学校ツアーをする際にガイド役を務めます。

藤本先生:先輩になる人が説明してくれたほうが身近に感じてもらえますよね。嶋岡さんもVSの経験者です。中3から参加しました。

 入学すると日々の礼拝に始まり、聖書の授業、あるいは行事などを通してキリスト教に触れていきます。新入生はどのように受け止めるのでしょうか。

捜真女学校_宗教主任の藤本忍先生
宗教主任の藤本忍先生

藤本先生:反応はさまざまですが、各クラスに捜真小学校から入学する生徒が何名かいて、その生徒たちが最初はリードするような形で、自然と浸透していきます。授業では(キリスト教の)教えを一方的に伝えるというより、「こういう場面があって、こういうふうにイエスが言ったら、みんなはどう思う? 」といった、考えさせる授業が主体です。答えが1つだけではないので、思ったことを発言できる空気にはなっていると思います。

臼井さん:イエスの話はあくまでも一例で、それをもとに自分はどう考えるのか、を常に考えさせられます。

藤本先生:いろいろな意見があっていいのです。学問とはそういうものですから。その違いを受容できるかどうかが、私たち人間の幅だと思うので、否定は極力しないようにしています。

 クリスチャンではありませんが、神学部を選択した臼井さんにとって、同校のキリスト教教育から最も影響を受けたものを尋ねると、「考え方」という答えが返ってきました。

臼井さん:自分が何かしらの判断をする時に基準になるものがあると思います。その判断基準を、私はいつの間にか、キリスト教教育や聖書に置くようになっていました。決して真面目な生徒ではなかった私が、聖書の時間に自分と向き合うことができたのは、留学も大きなきっかけでしたが、先生から「イエスの教えに従いなさい」と言われなかったことが大きかったように思います。強要されていたら、きっと嫌になっていたと思います。

藤本先生:私たちからすれば神様やイエスは絶対的な存在ですが、人間は絶対的な存在ではないということがキリスト教でははっきりと示されています。結果として、押し付けや強要をすることはないですし、それはできません。

自分をさらけ出せるという幸せ
聴いてもらえるという安心感

 今春、卒業した嶋岡さんも、入学当初から奉仕活動に積極的だったわけではありません。

嶋岡さん:日々の礼拝や献金、インターアクトクラブ......。そういうことをコツコツとやっていくうちに、少しずつ積み重ねたものがつながり、誰かのために何かをしたい、という思いが、自分の中に当たり前にあるということを認識できました。奉仕委員も1年間やりました。

 例えば、御殿場の宿泊施設で行われる「自然教室」(学年ごとの宿泊行事/毎年)では、日常の喧騒から離れた場所で、礼拝をしたり、聖書の勉強をしたりします。「生徒礼拝」では、年に1、2回、順番に礼拝を担当します。

捜真女学校_生徒礼拝
自然教室

嶋岡さん:その時に人前で自分の思いや経験を話すのですが、そういう経験を重ねていくうちに、自分をさらけ出せるようになります。その集大成として、高3の「クリスマス礼拝」で話をさせてもらえたことは自信になりましたし、みんなに聴いてもらって安心しました。

臼井さん:「生徒礼拝」では、日常生活の中で聖書の言葉とつながる出来事を話したり、自分の悩みを共有したりします。年に2回ほど話す機会が回ってくるのですが、やらされている感は一切ありません。家族の話、ペットの話、部活の話、読んだ本の話......。かなり自由に自分が話したいことを話せます。

 その雰囲気を作るために、大事にしているのが、先生方が率先して自分を開示する、ということです。

藤本先生:まずは大人が開かないと子どもは開かないと思うので、教員が担当する「チャペル礼拝」、あるいは「自然教室」で自分の人生のいろいろなことを話します。人としての生き方、経験と同時に、ターニングポイントでどのように考えたか、問題を解決したか、といった具体的な話もします。それは生徒との信頼関係があるからこそ、できることだと思っています。

臼井さん:拒否されることがないので話しやすいですし、みんな当たり前のように自分を出していきます。

藤本先生:それがいわゆる「あるがままの自分でいていい」ということだと思います。安全地帯があるから安心して自分を出していけるのです。つかわされた場所(自分がいる場所)で、受けたものをどう還元していくか、ということも考えられるようになります。

嶋岡さん:そういう意味では、私にとって「献金・献品」も大きな体験でした。

藤本先生:献金教育では、普段、自分が与えられている恵みから一部を捧げて、神様の御用のために使っていただく、という話をしています。クラス礼拝(週1回)で奉仕委員が回って、10円から100円程度の献金をします。全校集めると年間で100万円くらいになるので、それを3分割して現在は東北の福島、外国で医療活動をしている方々、昨年からはウクライナにも送っています。

 今年度より、フィリピンの子どもたちが、学校に通って一日一食、もらえるという里親献金(月1回)にも取り組んでいます。1クラス30〜40人で1人を支えるという形で、教室には支援している子どもの写真とプロフィールが掲示されています。

捜真女学校_収穫感謝祭
収穫感謝礼拝

臼井さん:顔が見えることがとても大事で、それを収穫感謝礼拝で学びました。

藤本先生:収穫感謝礼拝(毎年)は自分たちの家にある野菜や果物、お米、味噌などを寿町にお届けする活動です。中2は総合学習のテーマが「環境」なので、その一環として寿町で奉仕活動を行います。それが初めての炊き出しになります。

臼井さん:里親献金もそうですが、支援する人の顔が見えると意識が変わります。中2の時は賞味期限がぎりぎりのものなど、自分にとって不要なもの、捨てる予定のものを持って行ったのですが、実際に調理して人が食べている姿を見たら、相手のことを考えるようになりました。来年は立派な大根にしようとか、おいしい白米を持っていこうとか。そういう気持ちになったことは、私にとって大きな変化でした。

藤本先生:「献品」にあえて新しいものを購入して持っていく。服も着古したものではなく、値札がついているものを持っていく。そういう心づかいができるようになっていくのも、1回限りではなく、その後も毎年機会があるからだと思います。

生徒の自由意思を尊重する。
それは全教員で共有している方針

 社会では「多様性を認める」「主体性を育てる」といった言葉が飛び交っていますが、同校ではあえて言葉にする必要はないようです。137年の歴史の中で大切に育まれてきた学校文化がしっかりと根づいているからです。

捜真女学校_SDGs実行委員会の活動風景
SDGs実行委員会の活動風景

臼井さん:生徒が意思表示をしたら、寄り添ってくださる先生方がたくさんいます。例えば、私の代でSDGs文化祭に参加したいと言ったら、校内でもやろうと先生方が協力してくださいました。SDGs文化祭として、他校と一緒にみなとみらいで啓蒙活動を行いました。それは学校に存在していたプログラムではありません。捜真ではバレンタインの季節にフェアトレードのチョコレートを販売しています。それも私たちの先輩が、カカオ農園で働かされている子どもたちがいることを学んだ際に、「どうせチョコレートを渡し合うのなら、フェアトレードのチョコレートを買おうよ」と声をあげ、先生に「校内で売りたい」と提案して、今も続いています。

嶋岡さん:夏服のポロシャツも共練会(生徒会)が立案して、先生方と具体化し、何色がいいかを全校で投票して、私が中3の年からポロシャツの着用が始まりました。生徒が考えて、実際に動いて変えていくことができる環境があることはすごいと思います。

藤本先生:「共練会」という名は、カンヴァース校長(宣教師・第二校長)が名づけました。教員と生徒が共に練って実現していく会という意味ですが、明治時代に現代に通用する精神をもっていた方でもありました。スクールモットー(建学の精神)の「Trust in God.Be true to your best self.」(=最善の自己に忠実であれ=)という言葉は、中島学院長の二代前の校長である日野綾子先生が捜真生だった時に、誕生日にノートを差し出してメッセージを求めた際、カンヴァース校長が書いてくれたものです。学校で使われるクリアファイルにも、直筆のメッセージがそのまま反映されています。

捜真女学校_礼拝堂を見守るカンヴァース校長の肖像画
礼拝堂を見守るカンヴァース校長の肖像画

嶋岡さん:私も直筆のメッセージを見せてもらったことがあります。小さなノートなのですが、中島先生から「日野先生が戦時中、疎開をする時も大事に持って逃げた」と聞きました。

藤本先生:最初は「Trust in God.Be true to yourself.」でしたが、そこに「best」を書き足しています。「自己に忠実」ではわがままですが、「最善の自己」なので独りよがりではない自分、です。本当にこれが最善なのか、本当にこれでいいのか、と考えさせられる言葉です。生徒には他の人と違う道も含めて、これが本当に最善なのかということを考え、悩む人になってほしいと思っています。

臼井さん:教員室前に机と椅子があります。そこでいつも先生と生徒がしゃべっていますが、私はそれが、捜真の先生と生徒の距離の近さを感じさせる、象徴的な場面だと思います。

嶋岡さん:中1から高3まで、6年間を通して自分のことを知ってくれている先生がたくさんいる、というのはすごく安心です。

藤本先生:大学進学においても高3の担任だけでなく、志望大学や学部をよく知る先生に指導していただく、推薦書を書いていただく、ということが多いです。2人とも私のクラスでしたが、嶋岡さんは法学部を志望していたので、法学部出身で法律に詳しい中島学院長にお願いしました。臼井さんは神学部を志望していたので私が指導しました。

臼井さん:進路選択にも生徒を尊重する捜真の校風が生かされていて、ありがたかったです。

藤本先生:本人の自由意思を尊重するのが私たち教員の方針なんです。毎年、大学に行かず、立ち止まる生徒も1人、2人いますが、その時は待ちます。ライフピボットではありませんが、軸足は決まっていて、いろいろな方面に仕事を変えている人がいますよね。本校にも英語がすごくよくできて東京外国語大学に進学したものの、今は京都大学で物理を学んでいる卒業生がいます。途中で理転しているのです。そういうことが起こるので、本人が歩みたいように歩むのが一番いいと思っています。

臼井さん:私は公募推薦入試で受験しました。高1の冬から1年間パナマに留学し、今も時間があれば行くのですが、そのあたりから子どもの貧困や虐待に興味を持ちました。東神奈川で、外国籍や日本語が不自由な子どもたちの学習支援をしている「ゆうゆうスペース」に参加していたこともあり、最初は社会福祉系に絞って対策をしていました。ところが調べていくうちに視野が広がり、根本的な解決につながる学びがしたいと思うようになりました。人間の行動のもとになるものはなんだろうと考えた時に、キリスト教はその働きの一部を成しているかもしれない、と思い、神学部に進むことにしました。

藤本先生:聖書科の教員や牧師を目指している生徒が神学部を志望するのですが、臼井さんは今までにない神学部の選び方でした。起業や法人立ち上げについての思想・精神に関心を持っていて、面白いなと思いました。

臼井さん:自分の興味に従って学部を選ぶことができたので、大学での学びはすごく面白いです。単位は取り終えていますが、面白そうな授業があると先生に相談して聴講や見学をさせてもらっています。 今は大学院進学を考えています。

「将来は、キリスト教の精神に基づいた社会福祉施設を作りたい」と夢がふくらむ臼井さん。

臼井さん:学ぶ目的は大学を選ぶ時からある程度見えていて、それをより良い形で作るには、どんなスキルが足りないか、どんな学びが必要か、ということを考え続けています。大学院では「実践宗教学演習」など、もう少し実践的な学びがしたいと思っています。例えば末期がん患者に向き合う医療者のためのグリーフケアの研究をしているところなどで学びたいなと思っています。

 法学部で学ぶ嶋岡さんも、公募推薦入試で志望校に合格しました。

捜真女学校_オレンジリボン運動
オレンジリボン運動

嶋岡さん:私はコツコツと頑張ることが嫌いではないので、入学当初から指定校推薦で大学に入学したいと思っていました。中学時代は部活(ギター部)や文化祭実行委員、VSなど、校内の活動にとどまっていましたが、中3の文化祭でオレンジリボン運動という虐待防止運動をしました。その時に捜真がNPO法人を運営する子ども支援センター「つなっぐ」と交流を持ったのです。その時は、文化祭実行委員の一員として関わっている程度でしたが、チャリティグッズの販売で得たお金を献金として「つなっぐ」にお渡しした際に、「性被害を受けた子どもの物的証拠を保存する冷蔵庫の購入費用に当てる」と聞いて心が動きました。「一緒にやりませんか」と声をかけいただき、「大学生が生活保護を受けられない」問題に向けた活動に参加させていただくと、法律の穴の部分が同世代の人たちを苦しめていることを知って、のめり込みました。

藤本先生:嶋岡さんは他者のために仕える精神をもっているんですよね。

捜真女学校_卒業生の嶋岡永珠さん
卒業生の嶋岡永珠さん

嶋岡さん:いろいろなことがつながり、誰かのために行動することが当たり前の自分に気づきました。今もその団体で、インターンという形で活動させてもらっているのですが、事務局長の方に「(厚労省にかけ合った時は)しぶとかったね」と、今でも言われます。
 法学部を選んだのは、法的なアプローチによる要保護児童の救済について勉強したいと思ったからです。私も途中、社会福祉学部なども視野に入れていたのですが、自分の極めたいところはどこだろうと考えた時に、法律の勉強だと思いました。私はこの分野を勉強したいんだ、(世の中を)こう変えたいんだ、ということが、活動を通して明確になっていたので、公募推薦入試を選び、中島先生に小論文や自己推薦書を見ていただいて受験を突破することができました。

ありのままの自分と出会いたい。
そう思ったら是非捜真へ

 一人ひとりがさまざまな経験を重ねて、成長していく学校生活。その中で、捜真生が最も楽しみにしている行事が「クリスマス礼拝」です。

捜真女学校_クリスマス礼拝
クリスマス礼拝

嶋岡さん:演劇部がページェントを披露し、それに合わせて聖歌隊がハンドベルを、ギター部が賛美歌を演奏します。その後、みんなでロウソクを持ってキャンドルライトサービスを行います。クリスマス礼拝が終わると、高3が中庭で円になって、それを他の学年は教室の窓からのぞいて讃美歌を歌います。そのシーンはすごく幻想的です。高2までは中庭に降りてみたいと思っていたのですが、高3になってキャンドルライトサービスを迎えると、最後か、と寂しい気持ちになりました。

 その最後の「クリスマス礼拝」で、「自分の6年間を振り返り、話ができたことが自信につながっている」という嶋岡さんの話は心に残りました。臼井さんはパナマ留学を機に、人の痛みを救済したいという思いを抱いてから、大きく成長しています。2人の出発点はありのままの自分との出会いにあり、捜真女学校の懐の深さを改めて知る機会になりました。  最後に、受験生と保護者の方へのメッセージをいただきました。

臼井さん:中学受験をするにあたって、私はたくさんの学校を見学し、ここがいいな、と感じた捜真に決めて中高6年間を過ごしました。今、振り返ると、小6で感じた「自分の感覚」を信じたことに間違いはありませんでした。クラスには捜真が第1志望ではない人もたくさんいましたが、卒業する時には、何らかの導きがあって自分はここにいるのかもしれない、と思う人が何人もいました。学校選びに迷ったら、自分の感覚を大切にしてください。その学校に身を任せれば、自分にとって最善の学校になると思います。

嶋岡さん:私も神様のお導きというか、ご縁をいただいた一人です。振り返ると、委員会や文化祭、課外活動の「つなっぐ」もそうです。ご縁がつながって、大学で学びたいことに行き着きました。ですから受験生のみなさんには、目標を定めて全力で頑張ったら、結果ではないよ。どちらでも大丈夫だよ、とお伝えしたいです。
 キリスト教の学校だからと言って、信仰を求められたり、押し付けられたりすることは決してありません。そこは安心してください。キリスト教を含めた宗教史は、日本史にも世界史にも出てきます。捜真では音楽の授業が中1から高3まであって、6年間かけて音楽史のレポートを作ります。最終的に1冊の分厚いレポートになるのですが、音楽史にもキリスト教がよく出てきます。キリスト教は学問とも密接に関係しているので、あまり抵抗を持たずにキリスト教に関わっていけばいいと思います。

捜真女学校_カンヴァース·メモリアルチャペルにて
カンヴァース·メモリアルチャペルにて

藤本先生:捜真のキリスト教教育が目指すのは、「真理とは何か--自分とは何か、他者とは何か、人生とは何か」という問いに自ら答えを出すことです。その過程で、多くのことばに触れて、考えさせられます。例えば「敵を愛せ」という教えは、とても難しい教えです。自分中心で物事を考えたら、否定したい、拒絶もしたい。ですが、教えとしてそれを与えられたら、自分の感情のままに動いてはいけない。自分の感情に飲まれない、ということを心がけることができます。日本人は他者と同じ、ということに安心・安全を覚えますが、捜真生には「少数派にも共感できる」、「大きな声に流されず立ち止まって考える」、「自分にもできることはないかを考える」という価値判断の基準を持ってほしいと思っています。礼拝は人の話を聞く、自分のことを語る、その体験を繰り返すことであり、それができる信頼関係と喜びは生涯続きます。
 ありのままの自分と出会いたい。自分のアイデンティティみたいなものを見つけたい 。そう思ったら是非、本校にいらしてください 。2人の話からも、そういうものが見えてくる 学校だと思います。

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