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(前編)松林に見守られ、生徒たちがのびのびと自分を表現する

発見!私学の輝き 聖セシリア女子中学校・高等学校(1)
教育ジャーナリスト おおたとしまさ

高校の玄関正面には数十本の松が立ち並ぶ(学校提供)


(後編)名門バレエ団の指導が、毎日の放課後に校内で受けられる

巨木がある学校に悪い学校はない

高校の正面玄関の目の前には、松の巨木が数十本立ち並ぶ。一本一本が太く大きく個性的で「今日の調子はどうだい?」なんて、まるで話しかけてきそうな温かみがある。実際に何十年と生徒たちを見守り続けてきたからだろう。現在の聖セシリア女子中学校・高等学校がある場所はもともと相模野の原生林だった。その名残でもある。

全国のさまざまな学校をめぐってきた経験から、私には自信をもって言えることがひとつある。「校地内に巨木がある学校に悪い学校はない」。理由は簡単だ。

長い歴史のなかで幾度となくくり返された校舎の増改築や建て替えに際しては、効率を優先するならば、切り倒してしまったほうが計画は立てやすかったはずだ。しかしそうはしなかった。落ち葉の清掃も大変だ。でも、それは生きている証。教育も同じである。生徒たちが個性的で生きる力にあふれていればこそ、教育の現場には日々、さまざまな葛藤や不安があるが、そこに関われることに喜びを感じる感性が、教育者には必要だ。

何があっても、誰よりも長く学校と生徒たちを見守り続けてくれたパートナーを切り倒すことなどできないという感性をもつ学校が、悪い学校であるはずがない。さらに、ほとんどのひとからは“非科学的”と言われるかもしれないが、先人たちの喜怒哀楽を見守り続けた巨木には、無条件にひとを慈しみ励ます力が実際にあるのではないかと、私は割と本気で思っている。

カトリック校なのにシスターがいない理由

聖セシリアは、1929年、大和学園女学校として、伊藤静江というカトリック信者によってつくられた。静江は小田急電鉄の創始者・利光鶴松の娘であり、小田急江ノ島線開通のために当時の大和村の原生林を切り開き「林間都市」として開発するのにあわせて学校が建てられた。

静江は当時まだできて間もなかった現在の聖心女子大学で、カトリック信仰に出会った。日本にあるほとんどのカトリックの学校は、修道会が運営するいわゆるミッションスクールである。しかし聖セシリアは、信徒がつくったカトリックの学校という点で非常に珍しい。

父親譲りの活発な女性だったようだ。当時の女学校イメージを覆すように、自動車部やグライダー部を創設した。当時、国産車なんてほとんどないに等しい時代。いまでいえばドローン部を創設するようなものかもしれない。

静江はカトリック精神に基づき「神を愛するが故に、他人をも我が身の如く愛する」教育を実践した。農業教育にも力を入れた。大地には神の恵み、生命の尊さ、生きる喜びがあり、神の摂理が宿っていると固く信じていたからだ。

時代に迎合しない確固たる教育観

太平洋戦争が終わると、学校制度の改正に伴い、「大和学園中学校・女子高等学校」として中高一貫校化した。

1950年代から60年代にかけて、日本経済は大量生産、大量消費の方向へ突き進む。静江が大切にする価値観と、社会が志向する価値観にずれが生じた。しかし静江は社会に迎合しなかった。自らが信じる、学校のあるべき姿を追究し続けた。

世の中には、社会のニーズに応えるのが教育の役割だと言ってはばからないひとたちがいるが、私はそうは思わない。世の中がおかしな方向に進もうとしているのなら、それに抗うのが教育の社会的役割ではないか。世の中に蔓延するそのおかしな風潮から子どもたちを守るのが学校の役割ではないか。そうでなければ先の戦争から我々はいったい何を学んだというのだろう。

世の中の流れに抗うことで、一時的に学校は窮地に立たされるかもしれない。しかし時代はめぐる。苦しかったけれど正しいと信じることを貫いて良かったと思えるときがいつか必ずやってくる。教育にはそういう視野が必要だ。

1971年に静江の後を継いだのが、次女・千鶴子である。1972年には「信じ希望し愛深く」というスクールモットーを掲げた。1980年に校名を「聖セシリア女子中学校・高等学校」に変えると、カトリック校としての認知が高まり、生徒が増えた。「セシリア」は千鶴子の洗礼名であった。のちに千鶴子は「あのとき、新しい風が吹いたのよ」という言葉を残している。2014年からは一人娘の公子が学園長を務めている。

美術と音楽が、生徒の心の風通しを良くする

美術学校の中を歩いているのかと錯覚するくらい、校内の至るところに生徒たちの美術作品が展示されている。廊下の壁が赤い。自分たちの作品が映えるように、ルーブル美術館を模して生徒たちが自ら塗ったのだそうだ。

作品からのびのびとした生徒たちの個性があふれている。作品の上手下手以上に、安心して自分を表現していることがわかり、見ているこちらまで心が安らぐ。「美術科の先生たちが工夫して、生徒たちの個性をいちばん出しやすいような課題を発達段階に合わせて与えてくれているのだと思います」と森永浩司校長は言う。

校名のもととなった「聖セシリア」は、3世紀頃ローマで殉教した音楽の聖人であり、学校の文化として、音楽も非常に大切にしている。「この学校はカトリックの学校でありながら、修道会を母体としているわけではないので、修道女がいません。その分、『歌うことは祈ること』という思いがあり、祈るように歌う文化があります」と森永先生。

美術と音楽という2つの窓を通して、生徒たちが思う存分自分を表現し、また外の空気を取り入れているのだということが、校舎の中を歩くだけで伝わってくる。当然ながら、生徒たちの表情はほがらかで、それでいて落ち着きがある。生徒と教員の間には、一般的なカトリックの学校にありがちな、かしこまったところがない。

生徒の心に寄り添う、きめ細やかな教育

「きめ細やかな教育」が、教員たちの矜持である。ITを活用した「生徒カルテ」には、定期試験の成績はもちろん、模試の成績、日々の学習時間の記録に加え、生徒たちの日々のつぶやきのようなメモまでが書き込まれている。それを教員みんなで共有し、多角的な目で生徒を見守るようにしている。

たとえば忘れ物をして叱られた生徒がいたとする。叱られるのはしょうがない。しかしいくら自分のせいとはいえ、みんなの前で叱られれば当然傷つく。次の授業でもまた同じ理由で叱られることのないように、叱った教員はほかの教員にそのことを情報共有し、必要以上に傷つけることのないように、生徒に対する気遣いを求める。

教科学習面でのサポートも充実している。英語芸術学校マーブルズとの連携により実施される「イングリッシュエクスプレス」の講座では、英語のミュージカルに挑戦する。英語のセリフを覚え、英語の歌を歌い踊るのだ。土曜日には「TOEIC講座」「漢字検定」「小論文」など、さまざまな講座が設けられ、希望制で受講できる。高1までは毎年夏期講習が組まれる。高2の夏には5泊6日、春には3泊4日の勉強合宿も開催される。

「神を愛するが故に、他人をも我が身の如く愛する」教育の実践として、宗教教育、福祉教育、教養講座のほか、コミュニケーション教育として「エンカウンター」というプログラムにも取り組む。さまざまな形のグループワークを通じて、「心と心のキャッチボール」の経験を積めるようになっている。

玄関を出て松の巨木を見上げると、「この中では、あなたたちは守られている。世の中があなたたちに押しつけてくるモノサシに惑わされず、自分自身の信念に基づいてのびのびと人生を歩みなさい」という創立者の声が聞こえてくるような気がする。