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(前編)茶道と剣道を5年間必修にする文字通りの文武両道教育

発見!私学の輝き 藤嶺学園藤沢中学校・高等学校
教育ジャーナリスト おおたとしまさ

中学校棟のお茶室で行われていた中3の茶道の授業


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(後編)合格するまで帰れない!? 1日10時間3泊4日の勉強合宿

勉強漬けだった「特進コース」

神奈川県藤沢市にある男子校・藤嶺藤沢中学校・高等学校では、中1から高2の5年間、剣道と茶道が必修だ。クラスを半分に分割して、剣道と茶道を隔週で交互に習う。体育に剣道を取り入れている学校は珍しくないが、5年間に渡って茶道を必修にしている学校は珍しい。

100周年記念会館には3つ、中学校棟には1つのお茶室があり、毎年2月に保護者を招いてのお茶会を催す。中3は卒業茶会、高2は修了茶会と呼ぶ。

藤嶺藤沢は、鎌倉時代に時宗の開祖・一遍上人が開いた僧侶養成学校「時宗宗学林」にまでそのルーツを遡ることができる。その教えを根本とし、1915年に旧制の藤嶺中学校として設立された。校地は時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)に隣接している。藤沢市内にある鵠沼高校と藤沢翔陵高校も同じ学校法人が運営する姉妹校だ。

1985年には強豪・横浜高校を破り夏の甲子園に出場した。その翌年から進学校としても学校改革に取り組んだ。いまでいう「特進コース」にあたる「理数コース」を設置し、毎日16時15分まで授業を行ったあと、さらに「チュートリアル」と称して補習指導を行った。

当時は高校3年間しかなかったが、そのなかで徹底的に鍛え上げ、1993年と1994年には続けて東大合格者を出すこともできた。しかし、特進コースの卒業生たちの、藤嶺藤沢での3年間に対する印象は、「勉強した記憶しかない」だった。一般コースの生徒たちからしても、特進コースの生徒たちが羨ましくは見えなかったと、同校出身の教員・島貫和夫さんは証言する。

2001年に中高一貫校化し人間教育に舵を切る

進学実績は伸びたが、何かが違う。進学校としての実績づくりに意識を向けすぎた反省から、人間教育に軸足を置き直すことにした。仏教校であり男子校であるという特徴を前面に打ち出す方針を固めた。

ちなみにこれは、いわゆる「特進コース」をかつて設置していたさまざまな学校の教員の口からそろって聞く話である。たしかに進学実績を伸ばすことはできる。しかしそれがかけがえのない中高時代の正しい時間の使い方なのか……。藤嶺藤沢はいち早くそれに気づき、方針を変更したのだ。

2001年、中学校を設置。6年一貫教育の軸として、剣道と茶道をこのとき導入した。当初は中1から高3までの6年間、剣道と茶道が必修だったが、数年前に1年短縮した。

剣道はもちろん、茶道ももともとは日本の侍のたしなみである。「お茶というのは、おもてなしの心です。相手をよく観察して気持ちを察して、自分がどう動けばいいのかを常に考えます。相手の気持ちがわかって、自然に身体が動くひとになってくれているのではないかと思います。それは社会に出ても大切な能力だと思います」と中学校教頭の廣瀬政幸さんは言う。

相手の気配を感じて先んじて動く理屈は剣道も茶道も同じだ。洞察力を磨くとともに、臨機応変な判断力と、自分自身の心身の動きを寸分の狂いなく制御する能力が求められる。

茶道を学ぶことで、和歌や陶芸、書道、華道への造詣も深まる。中1の家庭科ではふくさ袋を自分で縫い、それを5年間使う。高2ではお茶会で使うための掛け軸を自分で揮毫し、陶芸家の指導を受けながら茶器も自分たちでつくる。

5年間をかけてようやく形になってくる

「中1〜2では正直言ってほとんど形になりません。でも高校生になったころにはお茶を点てる姿がだんだん様になってきて、卒業するころには日常生活でも『この子がこうなるか!』というほどに凜々しく見えてくることがあります。それが剣道や茶道の成果によるものかどうかは定かではないのですが」と廣瀬さんは言う。

茶道の授業を終えた中3生に「茶道の授業はどういう時間ですか?」と聞くと、「息抜きの時間です」と返ってきた。本音だろう。一方で、「まだぜんぜんちゃんとお茶を点てられませんが、和室での一通りの作法はなんとなくわかりました」と言う声も。いまは面倒くさく感じても、あとでありがたみがわかるはずだ。

見学した授業では、干し柿を使ったお菓子が配られたが、干し柿そのものが苦手だという生徒も多かった。一切畳に触れない生活をしている生徒たちも多いはず。そもそも現代では、“厳かな空気”を感じる経験も少ないだろう。ほとんど文化的前提がないなかで、やんちゃ盛りの中学生男子にお茶を教えるのはいかにも大変だと想像がつく。


それならば、生徒だけでなく、いっそ教員も生徒たちといっしょに横に並んで茶道を習えばいいのではないかと感じた。

茶道のたしなみがある教員も少なかろう。生徒を指導する立場としてではなく、生徒とまったく同じ立場として謙虚に学ぶ姿勢を見せるには絶好の機会であるはずだ。自分たちの先生が間違えたり、お茶の先生に注意されたりするのを見れば、クスりと笑いながら、自分はもうちょっとうまくやろうと思うのではないか。そして何より、本気になれば若者のほうがこの手のことの習得は速い。それが自信につながるのではないか。

「やり抜く力」や「レジリエンス」を育てる

時宗の開祖・一遍上人は「臨終即ち平生なり」と説いた。いまを精一杯生きろという意味だ。家も捨て、親族も捨て、寺院も構えず、一処不住で全国を遊行し、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と書かれた念仏札を配り続けた。「南無阿弥陀仏を唱えれば、すべての人が極楽浄土に往生することは決定している」という意味である。「捨てる心さえ捨てる」として「捨て聖」と呼ばれた。いまでいえば究極のミニマリストだ。

毎年9月21日から24日まで、遊行寺では、開祖一遍上人の忌日法要「秋季開山忌」が行われる。初日には「藤嶺学園関係物故者・追悼慰霊祭」が催され、生徒・教職員も参列する。そこで「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」のお札をいただく。

慰霊祭でいただく一遍上人以来の法灯に連なる小さな念仏札。この札を手にすることで一遍上人の足跡を振り返る機会を得る。私たちは一遍上人のように衣食住をはじめ、すべてを捨て去ることはできないが、今の己を振り返り、自分という存在が強く欲望に囚われていることに思い悩む。そして今ここに自分が存在し、自分という存在が人との繋がりがあってのものであり、それは他者とのかかわりのおかげであると気づかされるのである。(藤嶺藤沢ホームページより)

一遍上人に由来する建学の精神は、「質実剛健・勇猛精進」。「質実剛健」を、「自己が一人の人間として尊い存在であることに目覚め、真に社会に貢献できるよう、その人格の完成に努めること」と説く。「勇猛精進」を、「何物にも動じない勇気、即ち猛烈にやる気を起こし、あらゆる困難にも負けず、大きな目標や目的を達成するために、一生懸命努力を怠らないこと」と説く。

「打たれ強い男子の育成」も合言葉になっている。いまどきの言い方をすれば「グリット(やり抜く力)」や「レジリエンス(したたかさ)」の養成である。異性がいないからこそ、かっこつける必要がなく、思い切り失敗ができる。それが男子校の醍醐味でもある。

と、お寺を母体とする学校であるがゆえ漢字をたくさん使った字面の堅い説明が多くなるのだが、実際のところ学校を訪れた印象は、まったく堅苦しい校風ではない。むしろ、ゆるーくてあどけない空気に包まれていた。そもそも「質実剛健・勇猛精進」の精神は、きっと見せびらかすものではない。「うちに秘めるくらいでちょうどいい」と、一遍上人も思っているのではないかと、私は思う。

→学校ホームページ https://www.tohrei-fujisawa.ed.jp