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(前編)賜物を認め合い赦し合う精神は「鬼滅の刃」にも負けない!

発見!私学の輝き 女子聖学院中学校・高等学校
教育ジャーナリスト おおたとしまさ

毎朝礼拝から1日を始める。写真はクリスマス礼拝(学校提供)

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宗教教育を通じて主体性を育む

1898年に来日した米国プロテスタント教会の婦人宣教師だったバーサ・F・クローソンによって、1905年築地に、神学校として設立された。1908年には現校地に女子聖学院普通部本科が開設。建学の精神は「Love God and Serve His People(神を仰ぎ人に仕う)」。教育目標は「自らの賜物を用いて他者と共に歩む事のできる女性」。

生徒たちの1日は礼拝に始まる。神の愛を感じ、自分のなすべきことと向き合う時間だ。授業では、さまざまな分野の学問に触れるなかで自らの賜物に気づき、それを磨く。学校行事のなかには被災地訪問、知的障害者施設訪問、老人ホーム訪問などの機会があり、その時点での自らの賜物を用いてみる。「キリスト教教育を通じて、主体性を育むことがこの学校の土台です」と佐々木恵教諭は言う。

9人のネイティブ教員がいて、英語による礼拝も行われる。使える英語教育は建学当初からの伝統で、English Loungeでは昼休みや放課後にネイティブ教員と気軽に英会話が楽しめる。イギリス、オーストラリア、アメリカ、フィリピンなどへの海外研修プログラムがあるだけでなく、カナダやニュージーランドを含む5カ国24大学への指定校推薦枠もある。

グローバルな経済競争のなかで“勝ち組”になることを目指す“グローバル教育”とは明確に一線を画す。自らがありのままにして愛されていることを知り、そのありのままの自分をもって世界の中に自らの果たすべき役割を見つける。そんな教育が、女子聖学院ではごく自然に、日々粛々と行われている。

女子聖学院の日々の生活のなかで、生徒たちが何を感じとり受け取っているのか。3人の生徒に話を聞いた。うち2人は、生徒会の役員として活躍し宿泊を伴うボランティア活動にも参加した経験をもつ高3のOさんとSさん。もう1人は、宗教委員長を務める高2のRさん。

いま「鬼滅の刃」が求められる理由

----宗教委員会の役割は何か。

R 女子聖学院はプロテスタントの学校ですが、その精神を生徒の立場からも生徒たちに理解してもらうように働きかけようとする使命(ミッション)を担った組織です。各クラスから2人ずつ宗教委員のメンバーが選出されて、その代表にあたる委員長と副委員長は選挙によって決まります。

----具体的にはどんな活動を?

R クリスマス礼拝の準備もありますし、礼拝での聖書朗読を担当することもあります。高齢者用のおむつや介助タオルをつくって施設に届けたり、献金活動を行ったりもします。そういう活動を通して、私たち自身を含むみんなの生活が豊かになればいいなと思っています。

S 礼拝で寝てしまうひともいるのですが、宗教委員のひとたちの存在があるからこそこの学校の礼拝は守られているんだと思います。

----なぜ宗教委員長に立候補したのか。

R もともと私は「○○長」みたいな役職に就くようなタイプではないんです。でもクラス推薦のときに、みんなが私の名前を書いてくれていて、みんなが私にそういうイメージをもっていてくれたんだと知って、うれしくなっちゃいました。

----クラスのみんなはどういう機会に、Rさんのそういう面に気づいたのか。

R 両親ともクリスチャンだったので、幼いころからキリスト教に親しんでいました。生徒が行うクラス礼拝のときにそんな話をしたことがあったからだと思います。

----どんな話をしたのか。

R 小学校の道徳の授業で、先生から「友達に無視されたらどうしますか?」と聞かれたことがありました。「先生に相談して対処してもらう」というのがそのときに言うべき“正しい”答えだったらしいのですが、私は「どうしたらその相手を赦せるかを考える」と答えました。先生には「それは違う!」と否定されましたが、自分としては、赦しから始めなければ何も解決しないという考えは変わりませんでした。当時はわかりませんでしたが、女子聖学院で学ぶようになってから、私のその確信は、信仰心からきているのだと気づきました。

----それはいい話ですね。

日本の社会にはいま、「○○を許さない」的なメッセージが多いと思います。でも一方で、芸能人の自殺なども相次いでいますよね。もしかしてそういうところからきているんじゃないかとも思うんです。そのひとがどうしてそういうことをするに至っちゃったのかという部分までを考えられなきゃいけないと思います。私自身、そういう芯を自分の中にもっていることには、昔から自信がありました。だから、いじめほどではありませんが、学校の中で起こるちょっとした嫌なことは余裕で乗り越えられました。そういう経験を、生徒礼拝でみんなにシェアしました。

----それが友達にも伝わった。

R 私の学年はいろいろな問題が起きた大変な学年でした。でも私の話を聞いて「この学年をつないでいくために、相手を非難したり、正そうとするんじゃなくて、根本的なところから赦そうと思えた」とコメントしてくれた子がいたり、直接伝えに来てくれる子もいたりしました。キリスト教信者だけでなく、みんなで共有できる考え方なのだと実感しました。

----それこそいま流行の「鬼滅の刃」がそういう思想をベースに描かれていますよね。

R そうです! あれがヒットしたのも、いま日本のひとたちがああいう思想を求めているからだと思うんです。

----OさんとSさんはいまの話を聞いてどうか。

S 私もキリスト教の幼稚園に通っていたので、そういう考えに近いものをもっているような気がします。

O 私自身の経験として、嫌なことをされたことがあって、そのときには「許せない!」と思ったことがありました。でも礼拝を通して「やっぱり、それじゃいけないな」と気づいたことがありました。赦すまではいかないかもしれないけれど、できる限り相手のことを知って、理解することのほうが大事なんだって。そうじゃないと結局何も解決しないんですよね。

R 礼拝中に寝てしまう子もいるんですが、それぞれの事情があるかもしれないので、責めることはできません。面倒くさいなと思うひともいるとは思いますが、毎朝必ず礼拝による平安があってから1日を始められるというのはこの学校のいいところだと思います。

生徒たちの主体性から教員も学ぶ

----2人はどんなボランティア活動に参加したのか。

S 私は3泊4日で釜石の被災地を尋ねました。ご老人が暮らす仮設住宅やアパートを訪ねて、「お茶っこ」という活動を行いました。東北地方の言葉で「お茶っこ」といって、お茶を飲みながら楽しくお話しする文化があるんです。

O 私は2泊3日で青梅学園という知的しょうがい者施設に訪問しました。交流会でおしゃべりしたり、施設のお祭りで使う装飾品をつくったり、施設の方々が使ううちわをつくったりしました。

----なぜ参加しようと思ったのか。

O それまで知的障害をもつ方々と接したことはありませんでした。正直に言うと、お手伝いをさせてもらうというよりも、まずは彼らと交流してみて、彼らのことを知りたいと思う気持ちが先にありました。自分でそういう機会を見つけるのは結構難しいと思うのですが、学校が主催してくれているのでその点で安心感はありました。

S 以前にもお隣の男子の聖学院の生徒たちと合同で行う「パラスポーツ・プロジェクト」という活動に参加したことがあって、そこで高齢者とスポーツを楽しむ経験をしました。高齢者の方々が元気な笑顔を見せてくれたことは、私にとってもうれしいことでした。また、私は将来、地域活性化をやっていきたいと思っているので、被災地の復興そのものにも関心がありました。

----初めての経験で、何を感じたか。

O 自分から積極的に話しかけることを目標にして参加したのですが、初日はぜんぜんだめでした。老人ホームにも訪問したことがあったのですが、そのときとはまったく勝手が違って、こちらから話しかけても反応がない場合も多くて、そんなときにどうしたらいいのかわからくなってしまったんです。男性よりも女性のほうが話しやすいと感じている自分もいて、自分のまわりにいろいろな「壁」があることに気づきました。いっしょに参加したまわりのメンバーも同様だったので反省会を開き、2日目からは反応がなくても笑顔で話しかけ続けようと決めました。そうしたら変化があったんです。言葉は返ってこなくても、表情が変わる瞬間とかがあって。こういうコミュニケーションもあるんだというのは、現地に行かないとわからなかったことだと思います。

S 被災から何年も経っているのに、「すごく怖かった」という話を聞きました。まだ傷は癒えていないんだ、心の復興もまだまだ必要なんだと感じました。東京にいると感じにくいことですよね。いまの中学生や小学生はそもそもあの震災を知りませんから「こんなことがあったんだよ」と私たちが伝えていくことも大切だし、「私たちみたいな東京に住んでいる若者も3.11があったことを忘れていないよ」ということを伝えることも、被災者にとっての心の支えになるんじゃないかと思いました。すっごくいい経験だったので、2020年も行きたかったのですが、コロナの状況で行けませんでした。

R コロナさえなければ自分も行きたかったです。

----スクールモットーの「神を仰ぎ人に仕う」をどう解釈しているか。

R 「神を仰ぎ」ということと「人に仕う」ということはイコールの関係だと思っています。ただ神様に祈っているだけでは、自分のうちだけに恵みをとどめているだけです。その恵みをシェアすることこそを神様は望んでいらっしゃって、そうすることが本当に神様を仰ぐことなんだろうと思います。

S この学校では、日々の生活のさまざまなシーンで、一人一人が賜物を活かす大切さですとか、弱いひとの立場に立つことの大切さを教えられます。

----先生たちがスクールモットーを体現して、お手本になってくれている?

R うーん。そういうことではいけないような気がします。先生がどうだからとかではなく……。

S 生徒たちが主体にならないとね。

R そうです。この学校では、先生たちもそういう生徒を見て、刺激されていると思います。

O・S うんうん! それはそうだと思う。

R 先生と生徒がお互いに影響を与え合う。それがすごくいい関係なのだと思います。先生と、「いろいろあったけど、お互いひととして成長できたね」みたいな話をしたことがあります。

----女子聖学院はどんな学校か。

O いちばんの誇りは生徒主体の学校だということです。生徒会の選挙も宗教委員会の選挙も、先生たち主導ではなく、生徒たちによって結成された選挙管理委員会が取り仕切ります。この学校では、先生たちは私たちをうしろから支えてくれる存在です。

S やはり先生と生徒の距離が近いことがいちばんの特徴だと思います。私自身、6年間、本当にいろいろありました。そんなときにいつも先生が話を聞いてくれたから、いまここに私はいるのだと思います。また、どんなひとであっても、そのひとがそのひとらしくいられる場所です。

R 素直に自分らしさを表現することが怖いと感じられてしまう世の中だと思いますが、学校のいちばんの役割は、一人一人がそのままの自分でいられる場所であることだと思うんです。ここでは、シャイな子はシャイなままでいていいし、はっちゃけている子もそれはそれで認められます。その中間にいることを求められません。私は昔から空気が読めなくて、それがコンプレックスでした。でも女子聖学院に来て、克服できました。ルールとかそういう意味ではなくて、本当の意味で生徒たちが自由でいられる学校だと思います。

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3人ともまったく異なるキャラだった。でもみんな、自分の言葉で、それぞれの思いを、ときにネガティブな経験までも含めて生き生きと語ってくれる点が共通している。彼女たちの声のトーンや目の動きからは、高校生とは思えない包容力がにじみ出ていた。誰よりもまず自らを赦すことができている証拠であると私は感じた。


→学校ホームページ https://www.joshiseigakuin.ed.jp