コラム

なぜアクティブラーニングなのか?(1)

なぜアクティブラーニングなのか?(1)
教育ジャーナリスト 後藤 健夫

いま、教育業界全体で話題になっている、キー・ワードがあります。 下村博文・前文部科学省大臣が「明治期以来の教育改革」と声高に宣言した改革の最中にあります。 その改革の中にはいくつかのキー・ワードがあります。 「高大接続システム改革」「新テスト」「CBT(Computer based Testing コンピュータによるテスト)」・・・などなど。

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そこで、それらのキー・ワードのなかで最も注目を浴びている「アクティブラーニング」を、大学入試に詳しい教育ジャーナリストの後藤健夫さんの寄稿により、2回に分けてご紹介します。

まず今回は「なぜ、アクティブラーニングなのか?」を、導入の背景を中心に解説します。
続いて次回は、「アクティブラーニングとはなにか?」を解説します。

子どもたちの未来は明るい、と必ずしも言えない

さて、子どもたちの未来は明るいものになるでしょうか。 世界の状況や身の回りの社会をご覧になっていかがでしょうか。

昨年(2015年)の出生数は約100万8千人。1974年には200数万人いたことからすれば半減しています。今年はついに100万人を切るのではないかと言われています、そして、今年から30歳になる人たちの人口が年を追うごとに急激に減少を始めます。つまり子どもを産む女性がどんどんと減っていくわけですから出生率を大きく上げなければ出生数はどんどん減っていくことになります。 これからまだまだ子どもの数は減っていくことでしょう。となると、社会で働く人も少なくなります。いわゆる生産年齢人口はこれからどんどん減っていくことになります。また、国の人口の減少は、国内の需要が減ることになりますから、国力の減退にも繋がりかねません。

その一方で、高齢者は増え続けます。予防医学の発達で寿命は伸びるとともに、人口が多かった団塊世代からその子どもの団塊ジュニア世代まで、これからどんどん高齢者は増えていきます。多くの高齢者を少ない若者が支えていくのがこれからの時代です。

働き手の不足と働けない人の増加。

この未曾有の少子高齢化といかに付き合っていくのか。厳しい時代が到来することを覚悟しなくてはなりません。 そのためにも生産性を大きく上げていくことが必要になるでしょう。AI(人工知能)の登場はそのひとつです。

AIの進化、国際情勢の複雑化はどんどん進む

最近、いろいろな場面で、AIの発達の話をよく耳にするようになりました。プロの将棋士とコンピュータが対戦する将棋の「電脳戦」にはじまり、グーグルのアルファ碁がトップレベルであるプロの棋士と囲碁で対決して連戦連勝で、やっとのことで棋士が一矢を報いたというように、将棋や囲碁、そしてチェスで、AIを備えたコンピュータが勝利を収めていく姿が報道されています。そのほかにも自動運転の自動車や道路の渋滞を回避しようとする信号システムなどにAIが活用され始めています。

ゴッホや星新一、ベートーベンを模して、ゴッホ風の絵画を描いたり星新一のようなショートショートの短編小説を書いたり、ベートーベン風の作曲をして演奏したりと、AIはどんどん進化しています。2045年にはAIが人間の指示を超える作業をすると言われるシンギュラリティ(技術的特異点)がひき起こるとも言われています。この過程でこれまで人間がしてきた多くの仕事がAIに置き換わることになるでしょう。トラック運転手やクレジットカードの審査などの仕事をAIが「奪う」と騒ぐ人たちも登場して、これからの職業選びに慎重になるよう警鐘を鳴らしています。確かに、AIの登場により、人間がする仕事が少なくなってくるかも知れません。

しかし、日本のこれからを考えると、生産年齢人口は減少をたどり続ける中で、人間の仕事をAIに任せることで生産性を上げることが出来れば、多くの老人を養う若者の負担はいくらか下げられるかも知れません。元来、技術は、人間の暮らしを豊かにするために、開発されるものです。ですから、仕事をAIが「奪う」と心配するよりはむしろ仕事をAIが「任される」とすべきであり、元来は人手不足なのですから、人は人間として価値ある仕事に従事するべきではないかと思います。

国際社会もますます複雑になります。宗教の対立、アフリカでの人口の増加、エネルギー問題などなど、これから世界が抱える課題は、多様な価値観と折り合いをつけていくことが求められ、個人が解決できる問題ではなく、多くの人たちとコラボレーションして最善解を見出していくことを求められるでしょう。 こうした時代を乗り越えるための知恵を出していかなければなりません。その知恵を出すことは学問に期待されます。特にAIをはじめとする科学技術の発展と、人間の本来の暮らしや労働との関係性をうまく保っていくには、人文・社会科学系の学問はとても重要な役割を占めることでしょう。そしてそこで求められるのがアクティブラーニングなのです。

厳しい時代を見据えた教育の転換

未曾有の少子高齢化、AIの進化、国際情勢の複雑化など、これまでに経験したことがないことが次から次へと起こり得るわけです。そして、それらはいずれも「正解のない問い」を常に突きつけてきます。 そのときに、いまの大学入試センター試験のように「唯一の正解」が端的に選択肢に用意されているような問題を解き続けたところで、「正解のない問い」には太刀打ち出来ないでしょう。だから、学習者が自ら考えて、多様な価値観の中で、さまざまな人たちと協働して、問題解決のための課題を設定して、その課題の最善解を見出すようなことが求められているのです。

それは従来の一斉授業で学ぶようなものではないでしょう。これまでの大学受験を意識した「これが出るぞ」といった高校の授業ではなく、教科科目の面白さを伝えるような授業が求められます。もっともっと知りたくなるような、探究心を芽生えさせるような授業が求められます。それを実現するのがアクティブラーニングです。

いま、世界で「なにを教育すべきか」「どのような能力を育てるべきか」の議論が沸き起こっています。これも、著しい進化を遂げる人工知能の登場や複雑化する国際社会を背景としているからです。教育の転換は日本だけに求められているものではないのです。

授業進度は誰のためのものか

知識や技能が一律であれば一斉授業は効率が良くて効果的だったでしょう。しかし、少子化により私立中学でも公立を含めた高校でも、その知識や技能を中心とした子どもたちの学力の幅は大きくなっています。特に、これまで地域でトップの大学合格実績をあげていた地方の公立高校では、その合格実績をみればよくわかりますが、合格する大学や進学する大学が多様になっています。そうした中で、効率的に一律に一斉授業を展開することはなかなか難しくなっているはずです。 さらに、これからコンピュータの発達により、学習環境は様変わりすることが考えられます。 学習教材は学習者の理解の度合いに合わせて最適な難度の問題を課すようなものとなるでしょう。こうしたアダプティブな教材が一般化したら、授業はどうなるでしょう。

従来も、塾に通っている子どもたちの中には、授業の進度と学習の進度が異なるケースはよくあります。また授業の進度についていけない子どもたちもいました。ただ、それはごく一部の子どもたちのことだとの暗黙の了解があったのではないでしょうか。その暗黙の了解が一般化してあらゆる子どもたちの学習進度が異なってしまったときに授業はどうなるのでしょう。 ある高校の校長は「授業の進度は教員の都合でしかない」と言い放ちます。また、別の校長は「すべての生徒が理解できているようなことを教員は教えているのではないか」と言います。

授業は誰のものか。

それは学習者である子どもたちのものにほかならないです。 アダプティブな学習教材が行き渡ったときに、授業の進度はどうなるでしょうか。 そして、いまのような教員が一律に教え込むような一斉授業が果たして成り立つでしょうか。 いま、学校の授業は岐路に立たされています。

大学入試とアクティブラーニング

いくつかのトップ進学校の授業では、「試験に出るからこの問題を解きなさい」「試験に出るからこれを覚えなさい」といった授業を伝統的にしていません。そう聞くと、「どうせ、試験対策は塾でやっているのだろう」と思われるかもしれません。確かにこれまではそうです。これまでの、例えば大学入試は、前述の大学入試センター試験のように「唯一の正解」を求める問題や「一つの考え方に即して解答をする」問題、「知っているか、覚えているか」だけを問うような問題で構成されることが多かったです。

しかし、ご存知かと思いますが、大学入試の様子も様変わりします。 どのように変わろうとしているのかをわかりやすく話せば、「問われることが増える」ということです。 学校教育法第30条の第2項において、下記のような学力の3要素が示されています。

(1)基礎的・基本的な知識・技能
(2)知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等
(3)主体的に学習に取り組む態度

今回の大学入試改革は、この3要素を評価するようにしようとするものです。 従来は大学入試センター試験や一般入試(主に学力試験)では主に「知識・技能」を評価していました。また、国公立大学の2次試験では「思考力・判断力・表現力」を評価することがありました。そして、AO・推薦入試では「主体的に学習に取り組む態度」(意欲)を評価してきました。

ここで、少し考えてみてください。

ひとりの受験生がどのように評価されているでしょうか。

私立大学に一般入試で入学した学生は、主に知識・技能しか評価されていません。AO・推薦入試で入学した学生のように意欲を問われていないです。国立大学に入学した学生も知識・技能に加えてそれらを用いた思考力・判断力・表現力を評価されてはいるものの、意欲は評価されていません。 因みに、世間では、AO・推薦入試を「学力不問」入試と言っていますが、そう言っている人たちは学力の3要素を文部科学省が法律で示していることをご存じないのでしょう。

AO・推薦入試で評価していることも学力の一部なのです。ですから「学力不問」とすることは間違いなのです。

話が少しそれましたが、つまり、学力には3つの要素があると言いながらも、これまではひとりの受験生に対して学力の一部しか評価していないのです。 そこで、いまの大学入試改革の議論では、個々の受験生に対して、この学力の3つの要素をバランスよく評価していこうということになるのです。 そして、前に書いたように、「唯一の正解」だけを問うことはなく、「正解のない問い」についても問うていこうということになるのです。 このあたりのことを理解していれば、いまの大学入試改革の方向性がわかりやすくなることでしょう。

こうして、これまでの「ここが出るぞ」と知識を詰め込むような授業はあまり役に立たなくなります。むしろ、知識を暗記するのではなく、その知識を使って考えたり表現したりすることを大学入試では求められます。さらにその知識は「もっと知りたい」といった知的欲求を持つことで蓄積されて定着するものになれば、「明るいとはいえないかもしれない未来」を明るくできるかもしれません。 その大事なポイントがアクティブラーニングなのです。

ここまで、アクティブラーニングといった用語を多用しつつもアクティブラーニングそのものを説くことはしてきませんでした。 しかし、なんとなくかもしれませんが、アクティブラーニングのぼんやりとしたイメージはできたのではないでしょうか。 アクティブラーニングについては、学術的な定義はないとする書物もあります。私はアクティブラーニングは「状態」であり「考え方」だと考えています。 アクティブラーニング、字義通り捉えれば「能動的学習」です。私はアクティブラーニングをわかりやすく伝えるために「脳働的学習」と表現することもあります。その詳細は、次回、解説したいと思います。

今回は、アクティブラーニングを導入する背景を中心に解説しましたが、次回はいよいよ「アクティブラーニングとはなにか」を解説します。

乞うご期待。

2016年6月

後藤 健夫 [教育ジャーナリスト]

大学コンサルタント。1961年生まれ。南山大学 経済学部 卒業後、河合塾に就職。その後、独立して、有名大学等のAO入試の開発、入試分析・設計、情報センター設立等をコンサルティング。早稲田大学法科大学院設立に参加。元東京工科大学広報課長、入試課長。現在「大学ジャーナル」編集委員、森上教育研究所 アソシエイト、Pearson Japan K.K 高等教育部門 顧問ほか。