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コラム

Thinking Experiments著者(2/2)日本語版

日本語翻訳:GLICC 代表 鈴木裕之

哲学は、生徒が学校で学ぶ教科とどのように関連していますか。また、哲学はどのように既存の学校制度に組み入れられるでしょうか?

ジェームズ
高校生時代の話です。高校生の頃、私は歴史が大好きでしたが、同じ出来事なのに異なる解釈に出くわすことがよくあり、「どの解釈またはどの本が正しいのか、どうすればわかるのだろうか」とよく不満に感じたものです。歴史書は基本的な物語に埋め込まれた一連の事実で構成される傾向があり、ありとあらゆる不確実なものを絨毯の下に掃き入れ、客観的な様相の絵を提示するわけです。私はすばらしい歴史の先生に教わっていましたが、彼らはこのような疑問を追求するために授業で多くの時間を割くことはしませんでした。
実際、私が学校で勉強したそれぞれの科目には、私が満たすことのできなかった好奇心の層がありました。その末に行き着いたのが哲学だったのです。私は日本の生徒も全く同じなのではないかと思っています。内面で湧き立つ自然な好奇心の層があります。そして、もしそれを引き出すことができれば彼らは本当に楽しんで反応するのです。
もう一つの質問は、哲学が学校システムの他の教科とどのように関連しているかということですね。哲学は全体像を見ようとすること、どうすればすべてが一つに組み合うのかといったことに関わっています。つまり、世界のあり方や目指すべき人間といった部分で、哲学は関連してくるのです。

アレックス
そうですね。付け加えるならば、哲学はすべての物事をつなげて見る方法を提示するのだと言えます。例を挙げてみましょう。美術の授業で生徒は、肖像画を見ているとします。ふと何のために肖像画を描くのかという疑問が起こるかもしれません。なぜ人々は肖像画を描いてもらおうとするのでしょうか。最近のティーンエイジャーであれば、彼らにとって最も肖像画に近い「自撮り」について考え始めるかもしれません。歴史の授業に移り、スターリンのような歴史的人物について話しているなら、彼らは彼の肖像画を見るかもしれません。その肖像が今日の人々の考え方にどう影響するか不思議に思うかもしれません。なぜ彼はそのように描いてもらったのだろうか、そしてそれは何かを繕ったりしているのだろうかと。この例では、美術の授業から肖像画を取り出し、それを生徒の自撮りの経験と歴史の知識と結び付けます。私は、哲学を実践することがこういった関連付けをより頻繁にするだろうと言いたいのです。

「生徒の好奇心の層」を掘り起こすために、各教科の先生は、どのように授業を深めることができるでしょうか。教員が生徒にもっと深く考えさせるように励ましたいと思えば、哲学はどのように役立つのでしょうか。ジェームズとアレックスはそれに慣れているでしょうが、哲学授業をしたことのない他の先生はどうでしょうか。

アレックス
私たちだけにしかできないなどというは決してありません。だからこそ、この本を書いたのです。生徒の好奇心を引き出すことは、単純な問いを発するのと同じくらい簡単なことです。ちょっとした質問の道具箱を持っていて、それらを使う気があるかということです。どの分野でも、それは意欲のある教師にとってはそれほど難しいことではないはずです。

ジェームズ
「理由を言ってくれますか」、「どういう意味ですか」、「だれか違う考えを持っていますか」などといった単純な問いだけではなく、ある教科の哲学的探究を創り出すためのプロセスもあります。この本の各レッスンは、その一例です。あなたは出来事についての情報の一部、または何かについての意見の相違を提示してから、異なる答えを招くYes / Noの質問をします。歴史に関して日本ですぐに思いつくものは原爆の使用であると思います。これについては未だに意見の相違がかなりあります。この出来事の正しい解釈は何ですか。それについてのもっともらしい理由づけはあったでしょうか。多くの好奇心旺盛な生徒は、教科書の中で直接的には尋ねられていないような問いを哲学授業の中で発してきます。

アレックス
そうですね。ふだん通りに授業が始まっている時でも、生徒が何かに反論しているのが聞こえてくることがあります。それは実りある、生産的な議論の兆候です。単に教材を進めるのではなく、彼らの反論やリアクションに考える余地を与え、他の生徒からのコメントを招き入れることで、彼らの潜在的な好奇心が発展していきます。会話が起こるようにする必要があるのです。

哲学を勉強することに実際的な利益はありますか。哲学を勉強している生徒はその後どのようになっていくのでしょうか。

ジェームズ
哲学だけを専攻分野として選ぶような生徒は、実利のことを気にせずに選んでいますね。哲学を選ぶ人々は実利を気にしない傾向があります。ですから、この質問は、哲学以外を学ぼうとする学生がどのような実利を得るのかを尋ねるべきなのでしょう。そしてこのことは、前に私たちが話題にした、哲学がいかに高校時代の科目の勉強の理解を深めたり、統合したりするかということにも関係します。哲学から何らかの実利を求める生徒は、哲学と最前線の研究、例えばコンピュータサイエンスとか純粋数学などの勉強とを組み合わせることが多いでしょう。あるいは、弁護士になりたくて、首尾一貫した論理的で説得力のある議論ができるようになりたいのかもしれません。そういう生徒にとって、哲学はある部分ではそのための手段です。

アレックス
高校生について言えば、大学入試に関連した実利について触れることができます。高校で数年間の哲学をした場合、複雑な文章を分析し、アイディアを明確に説明し、議論を力強く表現するといった一連の転移可能なスキルを身に付けます。これらのスキルは大学受験、特にリスニング、推論、および議論のスキルを要求するような面接やグループタスクのある試験において大きなアドバンテージになります。一般的に、哲学に継続的で深い情熱を持っている生徒は実利を考えずに選ぶというジェームズの意見は正しいと思いますが、さらに言うならば、哲学的な問いは魅力的であり、それらについて考えることは楽しいというただそれだけの理由で、誰にとっても哲学は価値があることだと思います。理想的な世界では、どんな教師も、考えることがどれほど楽しいかを生徒に学ばせたいと思うものではないでしょうか。

Thinking Experiments(英語)
Alexander Dutson (著), James Hill (著)

出版社: 首都圏模試センター
発売日: 2018