【東京都立三鷹中等教育学校】進化する公立中高一貫校Vol.3
my TYPE第13号(2025年7月13日発行)掲載
取材・文/鈴木隆祐 写真/松沢雅彦 鈴木隆祐
中学入試情報誌『MyTYPE』とは

『MyTYPE』は、首都圏模試センターが発行する中学入試情報誌で、最新の入試動向や学校情報をわかりやすく紹介しています。偏差値データや合格者分析に加え、受験生の「タイプ」に応じた学校選びの視点が特徴です。学力だけでなく個性や学び方に合った進路を考えるヒントが得られ、保護者にとっても教育方針や学校生活を知る貴重な情報源となります。受験を通じて子どもの未来を見つめるきっかけとなる一冊です。今回は、2025年7月13日発行のmy TYPE第13号に掲載しました記事をご紹介します。
▼my TYPE 購入はコチラ
・『しゅともしCLUB』
ペルソナを定めて幼児用玩具を作る創造力と創造力が結びつく美術

生徒の内発的な創造性をいかに高めるか。それには他者に対する想像力が豊かになるよう導くのが一番。まさに三鷹のモットーの「思いやり・人間愛」を持たせることだ。まずもってしかし、それは家庭の役割だった。だが、SNSでデマが拡散し、生成AIがそれを鵜呑みにし、真しやかな嘘をついてしまう昨今、他者に想像力を及ばせるにも、確かな素材選びが問われる。その好例を私は三鷹の美術の時間に見出した。三鷹では家庭科や音楽にも専任教員を置くが、美術の南弥緒指導教諭も同様。2年の授業では幼児向けの木製玩具を作っていた(写真)。糸鋸の扱いに悪戦苦闘する生徒が多かったが、前回の授業で南教諭がすでに想像力のスイッチを入れていたため、おざなりの作品を作る生徒はいなかった。そこで南教諭はパワーポイントで作成した10数ページの資料を見せた。日本の民藝玩具とともに先輩らの作品を見せるのと同時に、使用者を思い浮かべ、心を込めて作れるよう、生徒らにそのペルソナ設定を書かせていたのだ。南教諭自身、資料にはこう記した。
《名前:星空光性別:男の子年齢:3歳
好きなもの:トンボ・飛行機・金魚
好きなこと:ブランコと肩車
特徴:小指が長い左頬に小さなほくろ
父:エンジニア母:絵本作家》
「ちょっと細かすぎたかしら」と笑う南教諭だが、もし弟・妹がいても、ペルソナは新たに書くよう指導したという。そんなこだわりに生徒らも共感。米原碧希さんはペルソナを4歳の女子とし、自分の名をもじった名前をつけ、「洗濯機が回るのが好き」と設定し、糸を捻って動力にするメリーゴーランドを考案した。

下絵を描いてから実作にかかるが、櫻井煌太君は『豚の丸焼き』と題し、炎の上でぐるぐる回る豚を軽妙に図案化していた。鉄棒にぶら下がる運動、通称“豚の丸焼き”から思いついたのだという。安全性を考慮し、ペンキもニスも塗れない制約も、「板の木目を活かして“焼け焦げ”を表現してみます」と櫻井君はいう。動作のある玩具は組み立てが難しいせいか、かなりの生徒がパズル制作を選択する中、完成を待たずとも、この二人のチャレンジには拍手を送りたい。そして、放課後には〈一斉メンターデー〉が行われた。4・5年生を対象に総勢60人の教員が一人当たり4人から6人の生徒を担当し、探究の課題相談に乗る機会である。そこには小林校長はじめ、二人いる副校長も参加。もともと現代社会担当の小美野清一副校長の元に集まったのは、「株」「投資」といった、教科でいえば政治経済や現社の範疇のテーマを掲げる生徒たちだった。
小美野副校長は大卒後、数年間の企業勤務の後に教員となったので、その経験を交えながら的確なアドバイスを与えていた。「インバウンドマーケティング」をテーマにした5年の大島莉月さんは、その理由をこう語る。「京都などはインバウンドが押し寄せ、宿泊施設がどんどん作られ、ホテル業界が拮抗しています。でも、もうすぐピークも過ぎるんではないかな。そうなったら、どうなってしまうのだろうと思ったからです」しかし、大島さんが京都を訪れたのは修学旅行での1度だけ。家族でよく旅行に出かけるのはタイやバリなどの東南アジアだそうだ。なのに京都で定点観察したいという。行動力が言葉に溢れていた。
多様性が部活のバラエティさにも参加率は90%を超える

三鷹は戦前の府立中からの歴史を持つナンバースクールではないが、文武両道の精神は開校時から不変だ。前期後期ともに活動する部活の豊富さにおいて、首都圏の公立校の中で群を抜くだろう。サッカーでは強豪校として知られ、07年には全国高校選手権に初出場し、4回戦まで駒を進めた。都立高初のベスト8進出は今なお語り草になっている。14年にも後期サッカー部は都予選を勝ち抜き、全国進出を果たした。文化部では鉄道研究に実績があり、23年も全国高等学校鉄道模型コンテストでモジュール部門奨励賞を受賞。新装相成った飯田橋駅周辺の風景を、地上のJR中央線から地下深いメトロ南北線まで忠実に再現した、この力作はコンテストのサイトでも見られる。同好会ではUNIX研究会も、4Kモニターと画像・ビデオ編集ソフト搭載のハイスペックPCを筆頭に、3Dを含めた各種スキャナーや3Dプリンターなど、最新のツールが揃った「STEAMラボ」を駆使できるのは魅力だ。そして、最近好調なのが吹奏楽部だ。全日本ブラスシンフォニーコンクールで後期が24年は全国最優秀賞、今年度は優良賞を受賞。中高一貫校の高校部門での最優秀賞獲得は極めて稀という。同部の部長を務めるのが前出の大島莉月さんだった。

「担当楽器はトランペット。ピアノを小さい頃少し習い、小学校で鼓笛隊に入ってトロンボーンを齧ってはいますが、ほぼ初心者でした。運動があまり得意じゃないし、見学したら、1曲に対する情熱が高く、なんだかキラキラしていたので入部しました。今では部長となって責任を感じています」と畏まりながらも、やはり自然体な笑顔が溢れる。実は当初は私立志望で、しかも小6の夏に準備をし出したスロースターター。家庭教師に都立一貫校が向いていると勧められ、冬になって受検対策を始めたという。大島さんのような、柔軟な感性と思考力の持ち主が歓迎されるのが三鷹だろう。

三鷹中等は三鷹市の南東部に位置し、緑に恵まれた環境にある。三鷹の地名は徳川将軍家や尾張徳川家の鷹狩用の領地、「鷹場」から来ており、ことに学校の周辺はその名残をいまだ感じさせる。三鷹・吉祥寺・仙川とどの駅からもバスでならすぐだが、徒歩圏ではなく、落ち着いた学習環境が担保されている。そこにも三鷹が選ばれる理由があろう。三鷹の建つ一帯はかつて国立中央航空研究所だった。今もある調布飛行場開設の1939年に同時に建てられた。近隣の広大な中島飛行場三鷹研究所は現在、国際基督教大のキャンパスだ。三鷹は航空の街だった。下請け工場も多く、労働者のための社宅も数多く建設され、1935年には2万人に満たなかった人口は、その後の10年間で4万人台に突入し、40年には町制が施行された。そして戦後を迎え、49年に最初は三鷹町立高校として誕生したのが三鷹中等なのだ。50年に三鷹市が市制を施行したので、市立三鷹と改称し、程なく55年4月よりに都立に移管された経緯がある。だから、他の都立校以上に地域と密着してきた。

25年度から、それまで男女の生徒数が同数となるよう、性別による定員を設けてきた都立中並びに中等教育学校の適性検査だが、都立高での男女別定員の廃止に伴い、中高一貫校も25年度からそれに倣った。おかげでいわゆる記念受検する層が減り、徐々に都内難関私立と同等の倍率まで下がった。ただ、三鷹の倍率も横這いかやや下降気味とはいえ、相変わらず群を抜いて高い。都立一貫校の24年度平均が4.03倍のところ4.81倍、25年度平均が3.60倍のところ4.41倍だった。先進的なICT教育を受けられる、手作りの給食に神経が行き届いている、部活動が都立一貫校の中では極めて活発…と三鷹の魅力をいろいろ論ってきたが、上記のような地の利も大きいと思われる。かつてこの地の天空には勇猛な鷹が、やがては優美な飛行機が飛び交っていた。そして今や、少年少女の夢と希望が交錯しているのだ。
- この記事をシェアする