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コラム

佼成学園アメリカンフットボール部、3年連続日本一に向けて!①

佼成学園アメリカンフットボール部、3年連続日本一へ(1/2)

「素直・謙虚・感謝」が心のよりどころ。
クラブ活動が学校教育の延長上にあるという考えは、2年連続日本一を成し遂げても変わらない。

 クラブ活動のあり方が問われていますが、私学の中には学校が大事にしている理念をクラブ活動にも反映し、成果を上げているクラブがあります。アメリカンフットボール高校日本一を競うクリスマスボウル(関西大会の優勝校と関東大会の優勝校が対戦する全国高校アメフト選手権大会の決勝戦)で3連覇を目指す佼成学園LOTUSはその代表格です。
 中学生を指導する東松宏昌先生(57歳)がアメリカンフットボールの楽しさや基礎・基本を教え、高校を指導する小林孝至先生(49歳)が花開かせる、師弟ならではの心の通った連携力で、保護者やOB、学校関係者はもとより、対戦相手の監督からも信頼されるチームをつくり上げています。
 泥沼の中で根を張り、つながった状態で美しい花を咲かせる蓮の花のように、泥にまみれながらもチームワークよく日々努力して大きな花を咲かせるチームでありたい。チーム名の“LOTUS”(ロータス・蓮)に込められている願いが、どのようにしてカタチになったのかを、東松宏昌先生と小林孝至先生(共に保健体育科教諭)に伺いました。(取材・文:金子裕美)

咲き損じのない蓮の花のようなチームをつくり頂点に立つ

 佼成学園LOTUSには、毎年いろいろな子どもが集まってきます。中学生はアメリカンフットボールを起源に生まれた“フラッグフットボール”(タックルの代わりにプレーヤーの両腰につけたフラッグを奪い合う競技)にも取り組んでいるため、小学校でフラッグフットボールをやっていた子や、入学後に興味をもった子。中高一貫校なので、中学時代は他の運動部に入っていて、中3の公式戦が終わると入部する子もいます。小林先生もそうでした。高校入試を行っているため、高校から入部する子もいます。
 経験を問わず、誰もが一生懸命クラブ活動と学校生活に取り組み、人として成長する、それが佼成学園LOTUSの信条であり、入部すると配布される冊子には、「教育の現場であることを前提に指導していくこと」「フットポールを通じて、スポーツマンシップあふれる選手として育てること」を柱とした指導方針が明記されています。
「指導をする上で大切にしているのは心の成長です。いつも校長先生が言われている『素直・謙虚・感謝』、これらの心を忘れないように、僕らは『対戦相手に感謝しよう』『審判に感謝しよう』『試合会場の運営をしてくださる方々に感謝しよう』などというかたちで、日々生徒に投げかけています。また、生徒にしてほしいことは自分が実践します。例えば理事長や先生方が来られた時に、私が挨拶すれば生徒も挨拶します。自分が見本となって(素直・謙虚・感謝が)浸透するように頑張っています」(東松先生)

「アメリカンフットボール部は強化部に指定されています。強化部というと勝つことが命題のように思われがちですが、校長先生は『勝つことよりも大事なことがある。それをのびのびと教えてあげなさい』と言ってくださいます。それが本当にありがたいです」(小林先生)
 フットボールを通して人間性を伸ばしていく東松先生の指導に絶大なる信頼を寄せる小林先生は、中学時代のキャプテンを中心に、一貫生と高入生の力をうまく引き出しながらチームづくりを進めています。
「良い子をつくるのではなく、生徒が持っている個性をつぶさずに、良いほうを発揮させていくという考え方をベースに、一人ひとりと向き合い、力を引き出すには時間がかかります。このやり方が果たして正解なのか。わからなくなった時もありましたが、自分たちを信じて、二人三脚で地道にこつこつとやってきました。ここ数年、6カ年の子どもたちを中心に、ようやく自分たちで高め合うことができるチームができてきて、高校日本一になるとこんなにも多くの方々が応援してくださっていたのかと胸が熱くなりました。生徒の間で応援し合う雰囲気が生まれていることも嬉しく思っています」(小林先生)

すべては佼成学園でコーチと部員として出会ったことから始まった

 東松先生と小林先生の出会いは34年前にさかのぼります。日本体育大学を経て、国内トップクラスの社会人クラブチーム“アサヒビールクラブシルバースター”(以下シルバースター)で活躍していた東松先生が非常勤講師として佼成学園に赴任し、アメリカンフットボール部のコーチをしたことがきっかけでした。教育実習をした縁で、当時の顧問から「一緒にチームを強化してほしい」と声をかけられたのです。
 その時、部員(高2)だった小林先生は「東松先生の指導に心を動かされた」と言います。
「当時はトップダウンで、『やれ』と言われたことをやるという雰囲気でした。質問しても『いいからやれ』と言われる時代でしたから、僕たちの意見を聞いてくれる、尊重してくれる、細かいアドバイスをしてくれることに、まず驚きました。僕は高校からアメリカンフットボール部に入ったので、あのタイミングで東松先生と出会っていなければアメリカンフットボールを辞めていたかもしれません」(小林先生)

競技の楽しさを教えたい、という東松先生の指導に開眼した生徒たちは、めきめきと腕を上げていきました。
「小林先生が高3の年は少人数で関東大会の決勝まで行きました。小林先生もアメフトを好きになってくれて、大学でも活躍しました。大学選手権(甲子園ボウル)で2年連続(1989・1990年)MVPを獲得した選手は、おそらく日本人では小林先生が初めてだと思います。また、アメリカンフットボールには大学チャンピオンと社会人チャンピオンが対戦し、日本一を競う“ライスボウル”という大会があります。その大会で僕らは対戦しています。小林先生が大学3年生の年(1989年)です。日本大学フェニックスが強い時代で、僕らは大敗しました」(東松先生)
 小林先生が大学を卒業後、東松先生と同じ道を歩んだことで、2人のかかわりはより一層深まりました。
「東松先生とはシルバースターで1年半、一緒にプレーしました。その後もクラブではスタッフと選手として、佼成学園では体育科の同僚としてかかわり、今に至っています」(小林先生)

部員が辞めていく、悲しい現実と向き合う日々もあった

 現在、東松先生が中学生を、小林先生が高校生を指導していますが、すぐにこのような指導体制が整ったわけではありません。東松先生が非常勤講師から専任の教員になると、他のクラブの顧問をせざるを得ませんでした。
「当時、アメリカンフットボール部は中高が一緒に活動していました。1つのクラブを2人の専任で見ることができなかったため、僕はサッカー部の顧問になりました。そのうちアメリカンフットボール部の顧問をしていた先生が退職したので、小林先生を呼んで、僕はそのままサッカー部の顧問を続けました」(東松先生)
「佼成学園のOBということで、東松先生が託してくださったのです。25歳の時でした。定年まで40年あるので、1回くらい日本一になるチャンスがあるかもしれないなと思いましたが、その道のりは想像以上に険しくて失敗の連続でした」(小林先生)
 もっとも悔いているのは「部員をたくさん失ったこと」と小林先生。
「若かったので、強いチームを作らなければ、という気持ちが強すぎたのです。試合に負けた後、生徒に『悔しくない』と言われて『ふざけるな』と言ってしまいました。負けたら悔しいはずだ、という僕の気持ちを押し付けてしまったのです。そういう姿勢ではわかり合うことはできません。そのうち生徒がついて来られなくなり、部員がどんどん辞めて、14人くらいになってしまったこともありました」(小林先生)

そうしたピンチに立ち向かっている時に、力を貸してくれたのが関西学院高等部の中尾昌治監督でした。
「18回も日本一なっている名門中の名門ですが、生徒をサポートするという考え方で活動されていて、いろいろなアドバイスをいただきました。今も大変お世話になっています。僕らがクリスマスボウルで優勝した時も『お互いに(勝つことが使命だと)勘違いしないでやっていこうね』と言ってくださって、本当にその通りだなと思いました。東松先生、中尾先生……、近くにいる良い先輩方のおかげで僕自身も変わることができ、だいぶ我慢強くなりました(笑)」(小林先生)
 東松先生が顧問に加わったのは、小林先生が顧問になってから4、5年後のことでした。
「中学生の部員が増え、大会も増えたので校長先生にお願いしたのです。体育科の中にサッカー部を引き継げる先生がいたこともあり、今のような指導体制になりました」(小林先生)
 中学生はアメリカンフットボールとフラッグフットボールに週2日ずつ取り組んでいます。
「フラッグフットボールはかなり前からやっていて、体育連盟の普及活動にも協力しました。佼成学園はいわば発祥の地なので、今もフラッグフットボールを取り入れています。中学は初心者が多いので、自分たちで戦略を考えながらゲームを中心に楽しく活動し、毎年10〜20人を高校に送っています」(東松先生)
高校ではフラッグフットボールはやりません。中学時代と比べるとアメリカンフットボールにかける時間がかなり増えるので、「部員が辞める理由はそこにもある」と東松先生は話します。

「今までは佼成学園に入学してからフットボールに興味をもって始める子が多かったので、(高校に上がると)練習を負担に感じたり、高2になると大学受験が気になったりして辞める子がいました。最近、辞める子が少ないのは、高校はもちろん、中学校にもアメリカンフットボールをやりたい、優勝したいという強い気持ちをもって入って来てくれる子が増えているからです。9割以上の生徒が高3まで続けます。国立大学志望で『高3の秋まではできない』という子がいても、コーチとして残ってくれます。気持ちはつながっていると思います」(東松先生)
 2017年12月に行われたクリスマスボウルで連覇を達成した卒業生(2018年3月卒業)は、中3の年に中学でも日本一になっています。
「彼らが入って来た頃からチームが変わりました。明らかに意識が高くなりました。生徒だけでも厳しさをもって練習ができています。先輩が率先して練習するため、先輩の姿を見て学ぶということが根づいて来ました」(小林先生)
 活動に取り組む姿勢を重視するLOTUSでは、日々の行いによりメンバーが変わります。そのため毎日レギュラーを貼り出しています。自覚をもって行動し、良いプレーをした、あるいは試合に勝ったなどという時は、蓮のマークのシールをもらえます。
「シールをもらう時はみんな誇らしげで、嬉しそうにヘルメットに貼っています。上級生になるとどんどんシールが増えて満開になります。蓮の花は、咲き損じのないたくましい花です。それを知り、“LOTUS”というチーム名がとても好きになりました。ガツガツしていなくて佼成学園らしいなと思います」(小林先生)