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コラム

女子バレーボール黒後愛選手。「学校から世界へ」インタビュー②

飛躍の鍵は進路へのこだわり。自分で選ぶことで覚悟ができた。~ターニングポイント~(2/4)

記念すべき第1回に取り上げるアスリートは、今春の春高バレーでも大活躍を見せた下北沢成徳高校の黒後愛(くろご・あい)選手です。「競技との出会い」から「これからのこと」、部活や学校生活を通じて得た貴重な経験など多くのお話を伺いました。【取材日:2017年1月19日】(文:金子裕美 写真:永田雅裕)

黒後愛選手のプロフィール

1998年6月14日、栃木県生まれ(18歳)。家族全員(両親と姉)がバレーボールにかかわる家庭で育ち、2007年(小3)からバレーボールを始める。宇都宮市立若松原中学校(栃木)に入学後、頭角を現し、2012年(中2)に全日本中学校選抜メンバー入り。2013年(中3)にJOCカップ全国都道府県対抗大会に栃木県代表として出場し、優秀選手賞を受賞した。その後、下北沢成徳高校(東京)に進学。2014年(高1)に2020年東京オリンピックに向けて集中的に強化していく選手で構成される「Team CORE」に選出された。2015年(高2)には世界ユース大会(U−18)に出場。全日本高校選手権大会(通称:春高)では3大会ぶり3度目の優勝を果たし、2年生ながら最優秀選手賞を受賞した。高校3冠を目標にスタートした2016年(高3)は、インターハイを制したものの、国体で準優勝。その悔しさをバネに、高校最後の大会となる全日本高校選抜大会で見事連覇を果たし、2大会連続で最優秀選手賞を受賞。アジアジュニア大会では準優勝の原動力となった。卒業後はVプレミアリーグの東レアローズに入団する。

のびのびと過ごした中学時代。

−−−若松原中学校は学区の中学校ですか?

黒後 違います。父の兄が、うちから自転車で20分くらいのところにある若松原中学校の教員でバレーボール部の監督をしていたので、ジュニア時代のエースと一緒に入りました。中学時代の戦績は関東大会が最高でしたが、3年間で8cmくらい身長が伸びたので、それが(今の自分をつくる上で)大きかったのかなと思います。

−−−バレーボール選手にとって高さは大きな武器ですからね。

黒後 中学時代に全日本選抜や栃木県選抜に選んでもらい、視野が広がりました。

−−−中学校はどんなチームでしたか。

黒後 1年生からスタメン(ウイングスパイカー)で、上級生と一緒にプレーしていましたが、のびのびとやらせてもらいました。ただ、ブロックをするのが初めてで、最初はすごくとまどいました。

−−−小学生からバレーボールをやってきたのに、ブロックの経験がなかったんですか。

黒後 そうなんです。(小学生のときは)前衛でもブロックをしないで、バックセンターで守っていました。

−−−小学生バレーは前衛、後衛に関係なく、インプレー中はどこでもプレーできますけど、黒後さんのような長身選手がブロックに跳ばないなんて、なんとも贅沢なチームですね!

黒後 (笑)サーブレシーブもコートの真ん中でやってました。自分でサーブを受けてから攻撃に参加していたので、レシーブには苦手意識がないんです。

−−−それが今、強みになっていますよね。小川監督もサーブレシーブには太鼓判を押していました。

黒後 父から「守れない選手はダメだ」とずっと言われてきたので、それはずっと意識しています。

−−−ご両親の言うことは素直に聞くほうですか。

黒後 母には反抗期があったんですけどね(笑)。父にはなかったです。先生のような感じで、自分のためになる話をしてくれるので「お父さん、大好き!」という感じでした。

−−−どうしてお父様の言葉は素直に聞けるのでしょうね。

黒後 父が納得できることしか言わないからだと思います。母は「勉強しなさい」とか「早く寝なさい」とか、わかってることを何度も言うので、「もう中学生だぞ」と(笑)。「言われなくても寝るよ」と(笑)。こんな感じで、中学時代はしょっちゅうけんかをしてました。バレーのことを言われると「言わないで。わかってるから」って態度をとっていました。

−−−「早く○○しなさい」は、私も息子によく言ってました。子どもはいつのまにか成長して、よけいなおせっかいと感じるんですね。

黒後 姉は生活面もきちんとしているので、「お姉ちゃんは中学生のとき、こうだったよ」と言われるのもいやでしたね。学校の先生だったら「はい」しか言えないですけど、母なので「うるさい」「わかってる」って結構言い返してました。

−−−黒後さんにもそういう時期があったとは。驚きました!

黒後 「反抗期だったな」と思います。高校から寮生活になり、お母さんが車で送り迎えをしてくれたこと、ごはんを作って待っていてくれたこと、そういうなにげないことへのありがたさが身に染みたから。今は「言い過ぎちゃって悪かったな」って思っています。

さらに身長が伸びて有望選手として注目される

−−−中学時代に注目されるようになった黒後さんですが、選抜チームで同世代のトッププレーヤーとかかわる中で“全日本”は意識していましたか。

黒後 小学生の時から、作文などで「将来の夢は全日本」と書いていたので、ぼんやりとですが、全日本でプレーしてみたいという気持ちはあったと思います。

−−−“全日本”が現実味を帯びたのはいつですか。

黒後 最近です。成徳で3年間過ごして、夢から目標に変わりました。

−−−黒後さんの小中学校時代は、木村沙織選手の全盛期ですよね。下北沢成徳高校に進学したのは、その影響もあったのですか。

黒後 沙織さんと自分を重ね合わせるなんて、そんな……。「強いチームでバレーがしたい」とは思っていましたが、高校のことはよく知らなかったので悩みました。両親は「行きたいところに行きなさい」と言ってくれました。成徳への思いが強くなったのは、全日本中学選抜やJOCカップを通じて仲良くなったミユキ(堀江美志選手/当時は世田谷区立北沢中学校)の誘いが大きかったです。「東京の強いチームの子たちと一緒にバレーをしてみたい」と思ったので、中学の監督に相談し、(下北沢)成徳の練習に参加させてもらいました。

−−−下北沢成徳はボール練習と同じくらいトレーニングをするので、驚いたのでは?

黒後 ボール練習に入る前のトレーニングでへとへとになり、ボール練習では立っていられないくらいでした。次の日は起き上がれなかったです。筋肉痛で(苦笑)。ミユキもいたんですけど、彼女は中学時代から成徳の練習を経験しているので余裕があり、すごいなと思いました。

−−−つらい思いをしても入学を決めた理由を教えてください。

黒後 成長できる場所だと思ったからです。決めるまでには時間がかかりました。決めた後も「これから、トレーニングの毎日が始まるんだー」ってずっと憂鬱でしたが、全日本の選手がたくさん出ていますし、(チームには)自分よりもうまい選手、強い選手がたくさんいました。きついことをやっていかないと、ああいう選手にはなれないのかなと少しずつ考えるようになって、負けず嫌いだからそういう選手の中でやってみたいと思ったんです。父が小川先生と話して、「すごくおもしろい監督」と言っていたので、そこに惹かれる部分もありました。