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コラム

女子バスケ奥山理々嘉選手。「学校から世界へ」インタビュー①

~競技との出会い~(1/4)

「学校から世界へ」第2回アスリートは、昨年末に行われたウインターカップで、女子の1試合最多得点記録となる62得点をあげて、注目を集めた八雲学園高校の奥山理々嘉(おくやま・りりか)選手です。部活や学校生活を通じて得た貴重な経験など多くのお話を伺いました。
【取材日:2018年1月26日】(文:金子裕美 写真:永田雅裕)

奥山理々嘉選手のプロフィール

2000年4月6日、北海道生まれ(17歳/高2)。身長180㎝。家族全員(両親と兄)がバスケットボールを経験している家庭で育ち、小3から鶴久保コスモス(神奈川県平塚市)でバスケットボールを始める。小学校時代から日本代表を狙える逸材として期待をかけられ、横須賀市立坂本中学校(神奈川)でもエースとして活躍。第28回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会では優勝し、MVPを受賞。2015年(中3)の全国中学校バスケットボール大会ではチームを3位に牽引し、優秀選手に選ばれた。
その後、八雲学園高校(東京)に進学。1年生からコートに立ち、2016年度はインターハイ、ウインターカップ(全国選抜優勝大会)いずれもベスト8。1年生ながら、2・3年生が中心世代となるU-17日本代表にも選出され、スペインで行われた世界選手権大会にも出場した。2017年度は2年生ながらキャプテンを任され、強豪がひしめく東京で、インターハイ、ウインターカップともに出場権を獲得。ウインターカップでは、1試合最多得点で新記録を達成(62得点)。リバウンド、フリースロー成功数、ブロックショットの4部門において、出場選手中トップとなる活躍で注目を集めるとともに、チームを過去最高の4位に導いた。目標は2020年東京のコートに立つこと。そのために一日、一日を大切に、充実した高校生活を過ごしている。

バスケットボールとの出会い

--バスケットボールとの出会いはいつですか。

奥山さん 小1の時です。小3の兄(喜理人さん/名古屋経済大学)が「鶴久保コスモス」というチームでバスケットボールを始めたので、練習について行ったり、試合の応援に行ったりしているうちに興味を持ちました。バスケットボールをする姿がとても楽しそうだったので、私も小3の時に「鶴久保コスモス」に入りました。

--「鶴久保コスモス」は、奥山さんが通っている小学校で活動しているクラブですか。

奥山さん 違う小学校です。1人でも通える距離でしたが、(平日は)21時頃まで練習していたので、帰りは親に迎えに来てもらっていました。

--遅くまで練習するのですね。

奥山さん 低学年の練習は17時から19時までなので、小4までは自分の練習が終わるとステージに上がって、兄の練習が終わるまで練習を見たり、(同じように兄・姉を待つ人がいたので)遊んだりしながら待っていました。

--奥山さんは入部当初から「大器」と言われていたそうですが、それはどういう理由からだと思いますか。

奥山さん 背が高かったこともありますし、小1から兄と遊びの中でバスケットボールをやっていたので、チームに入る前からレイアップシュート(リングの上にボールを置きにいくような基本的なシュート)ができていました。そういうところを見て、兄の練習について行っている時から「早く入りなさい」と誘ってくださいましたし、入団後も期待していろいろなことを教えてくださいました。

--小さい頃から背が高かったのですね。

奥山さん 小学生の頃から女の子の中ではずっと一番後ろです。小4の時に6年生に混ざって試合に出させていただいていましたが、同じくらいの体格でした。

--ご両親も長身ですか。

奥山さん 父が183cm、母が176cmです。2人ともバスケットボールをやっていました。母は実業団でプレーした経験もあります。

--バスケットボール一家に育ったのですね。

奥山さん そういう意味では家庭に恵まれたと思います。バスケットボールをやることに対しても理解があり、みんなが応援してくれます。母は練習の送り迎えだけでなく練習も見てくれました。父も仕事が忙しい中、練習や試合を見に来てくれてアドバイスをくれました。土日も試合や練習があり休む暇がなかったと思いますが、私のために時間を費やしてくれました。

小学校時代から日本代表選手になることが目標

--小学生の時から、毎日のように自主練をしていたというのは本当ですか。

奥山さん はい。兄が小学校の校庭のリングを使って毎日のように自主練をしていたので、私もついて行ってクラブに入る前から見よう見まねでやっていました。ミニバスの練習がある日は早めに家を出て、鶴久保小学校の校庭でバスケットボールを楽しんでから練習に入っていました。

--自主練ではどんなことをしていましたか。

奥山さん 主にやっていたのはシュートの練習です。ミニバスの練習で基本をたくさん教わるので、その復習をすることもあれば、兄と一緒にドリブルやパスなどの練習をすることもありました。

--自主練は自分から進んでやっていたのですか。

奥山さん そうです。ただただ楽しくて、上手になりたくてやっていました。教えていただいたことやできなかったことなどが練習してできるようになりますよね。それが嬉しくて、次はこれをやってみようという前向きな気持ちが生まれました。

--小学校時代から夢はバスケットボール選手でしたか。

奥山さん そうですね。監督が素晴らしい方で、幼い私に対しても、将来を見据えて教えてくださいました。小4の頃から「日本代表をめざすくらい、大きな目標を立てて頑張るんだよ」と言われて育ったので、自分ではそんなに上手じゃないと思っていましたが、監督の言葉を信じて小学生の時から日本代表になりたいという目標をもって練習していました。

--バスケットボールの他に習い事はしていましたか。

奥山さん 小さい時に水泳を少しだけやっていましたが、よく覚えていません(笑)。他に習い事はしていませんが、おばあちゃんが公文の先生だったので、小6まで頑張ってやっていました。バスケの練習が週4日(火木土日)あったので、疲れて勉強できない日もありましたが、それでも続けることができたのは、やさしく見守ってくれたおばあちゃんのおかげです。おばあちゃんは試合の応援にも来てくれます。

--自分で自分をコントロールする力がついたのではありませんか。

奥山さん ミニバスをやっていなかった時は、遊びに行きたい気持ちが強くて、その時は「勉強しなさい」と言われたのを覚えていますね。ミニバスを始めてからは時間がない中でどうしようというのはありましたけど、周りの人たちが応援してくれて、やれる時に頑張ることができたので小6まで続けることができたのだと思います。

--今、振り返ると、小学校時代に勉強の面も頑張ってよかったなと思いますか。

奥山さん 今は部活動が中心の生活なので、家で勉強する時間があまりないのですが、少しの時間、少しの量でもやっておいたほうがいいと思えるのは、小学校時代の経験があるからだと思います。

【高木先生談】一目で将来、日の丸を背負う選手になると直感!

ミニバスを見に行った桜井先生(中学バスケットボール部顧問)が、「すごい子がいる」と言うので、すぐ練習に誘いました。それが奥山です。中学生の練習に参加させる予定でしたが、たまたま高校生も練習していたので、そこに入れてみると遜色がなく、「本当に小学生なのか」と驚きました。その時の身長は170cmくらいでしたが、一目で「将来、日の丸を背負う選手になる」と直感しました。これまでも大きい選手はいましたが、彼女は大きいだけでなく小さい選手と同じことができるのです。バスケットボールはドリブルをしてパスをします。連動性のあるプレーをするためには、周囲に目を配ることが必要ですが、彼女はそれができていました。そういう力は指導したからといって身につくものではありません。生まれ持ったものなので、できれば中学校から来てもらい、大切に育てたいと思いました。