受験生マイページ ログイン
コラム

女子バスケ奥山理々嘉選手。「学校から世界へ」インタビュー②

~中学校生活~(2/4)

「学校から世界へ」第2回アスリートは、昨年末に行われたウインターカップで、女子の1試合最多得点記録となる62得点をあげて、注目を集めた八雲学園高校の奥山理々嘉(おくやま・りりか)選手です。部活や学校生活を通じて得た貴重な経験など多くのお話を伺いました。
【取材日:2018年1月26日】(文:金子裕美 写真:永田雅裕)

地元の中学校で日本一を目指す

--進学した坂本中学校は学区の中学校ですか。

奥山さん 違います。ただ、それほど遠くはありませんでした。通いやすい場所にあり、横須賀市の選抜チームで一緒だった子たちが半分以上集まるような学校だったので、「鶴久保コスモス」のチームメイトと2人で坂本中に入りました。

--八雲学園は中高一貫校で、中学校のバスケットボール部も強豪です。中学から八雲学園、という選択はなかったのですか。

奥山さん 小学校時代にお誘いをいただいて、練習を見に行かせていただいたことがありました。練習が楽しそうでしたし学校もいいので惹かれましたが、通学に1時間半くらいかかるので、中学校は地元の学校にしました。

--自分で考えて決めたのですか。

奥山さん そうですね。迷っている時に、お母さんに「八雲学園はこういうところがいいよね」と話すと、「通うとなったら朝が早くて大変だよ。大丈夫?」などと言ってくれるので、話すことで頭の中を整理しました。「3年間通う場所だから理々嘉が決めなさい。お父さんもお母さんも応援するから」と言ってくれたので、安心して決めることができました。

--ご自宅から坂本中までの通学時間はどのくらいですか。

奥山さん 徒歩で10〜15分くらいです。坂本中でもいい仲間に恵まれました。みんなで頑張ろうという雰囲気があったので、強豪校になれるという自信がありました。

--入学時は強豪校ではなかったのですか。

奥山さん 私が入学した当初は横須賀市で5位でした。強豪校ではありませんでしたが、坂本中は通いやすいところにあるので、1つ上の先輩方がミニバスの強いチームからたくさん来ていました。そこに私たちの代が14人入ったので、「まずは横須賀市1位をめざそう」「次に県大会1位をめざそう」というように年々目標を上げることができ、自分たちが3年生の時は日本一をめざして頑張りました。

--一歩一歩、進んで行ったのですね。

奥山さん 3年生が引退されてユニフォームをもらうと、横須賀市大会で1位になり、県大会に出場し、県大会でも1位になることができました。中2の夏は県大会で相模女子大学中学部に負けてしまったのですが、関東大会に進むことができたので、そこで優勝をめざしました。自分たちの代になり、日本一という目標を立てることができたのは、関東大会に出場した経験が大きかったです。その時は負けてしまい、目標は果たせませんでしたが、さらに上をめざしたいという気持ちになりました。

--次々に目標を達成できた要因は何でしょうね。

奥山さん 1人ひとりが目標に向かって本当に努力したからだと思います。チームで日本一をめざすとなった時に、(チームメイトの中には)「本当に日本一になれるのかな」と思った子もいたと思いますが、練習を頑張りました。中3の全国大会は準決勝で負けてしまい3位に終わったのですが、先生も日本一になるための練習を毎日してくださいました。練習に対する姿勢はどのチームにも負けていなかったと思います。

--目標は、自分たちで決めたのですか?

奥山さん そうです。自分たちの代になった時に、「みんなで集まって目標を決めようよ」と言いました。次の日にミーティングをして、「どこをめざすか」となった時に、「やっぱり日本一になりたい」と言うと、みんなも「そうだね」「そうだね」と言ってくれて、先生(ヘッドコーチ)に「チームの目標を日本一と決めたので、よろしくお願いします」と言って、私たちの代が始まりました。

--先生はどのように受けとめられたのでしょうね。

奥山さん 前の年に「全国大会に出られるよ」と、たくさんの方に応援されていたので、先生自身もめざしたいと思っていたと思います。自分はキャプテンの子と一緒にチームを鼓舞するというか、厳しい練習も自分たちから望んでやりました。それにもみんながついてきてくれたので、いい仲間に恵まれたと思っています。

--目標設定から生徒にまかせるという、先生の指導方針も素晴らしいですね。

奥山さん 「やらされるのではなく、自分たちで考えてチームワークよく頑張ろう」ということをよくおっしゃっていました。先生(ヘッドコーチ)はバスケットボール経験者ではないんです。サッカー部からバスケットボール部の顧問に変わって熱心に勉強されていました。その熱意が伝わる素晴らしい先生だったので、私たちもついていきたいと思いましたし、いろいろ教えてくださるのでみんな大好きでした。感謝の気持ちをもっていました。アシスタントコーチ(教員)は女性で、バスケットボール経験者でした。その先生にもたくさん面倒を見ていただきました。最後の年にかかわってくださった先生もバスケットボール部をたくさん応援してくれました。校長先生、教頭先生も毎回試合を見に来てくださいました。もう1人、私たちが中3の年に他校に移った先生にもたくさん応援していただきました。本当にたくさんの方々に応援していただいた部活だったので、本当によかったなと思います。

--チームで心がけていたことはありますか。

奥山さん コーチが学校の先生なので、「私生活がきちんとしていないと応援してもらえないよ」ということは毎日のように言われていました。宿題をきちんと出すとか、授業をきちんと聞くとか。身だしなみをきちんとするとか、挨拶をするとか。「そういうことをしっかりしないと応援してもらえないから、きちんとしようね」と言われていて、自分たちも気をつけていました。そういう部活動に取り組む姿勢は今も役に立っています。

--奥山さんにも反抗期はありましたか。

奥山さん 「うちに反抗期はないぞー」と、両親がふざけて言っていたのを覚えていますね。両親ともにバスケットボールをする上で厳しいことをたくさん言ってくれました。できないことも多く、自分にイライラしたこともあったと思いますが、自分のために言ってくれていると思って聞いていました。例えば、プレーがうまくいかなかった時に、いろいろ指摘されて、「そうなのかな。自分ではこう思うんだけどな」と思ったことはありますが、反発するということはなかったです。小さい頃ですが、兄とけんかをして、自分が悪いのに認めることができなかった時などに、「それは違うよ」と叱られたことはありますが、私はあまり悪いことはしていなかったと思います(笑)。

--バスケットボールの練習は体力的にきついことが多いと思いますが、どう乗り越えていますか。

奥山さん 今も練習が厳しくて、これ以上走れないと思う時もあるのですが、つらい時こそ目標を思い出すというか。なんのために今、頑張っているのかということを思い出して、「ここで負けてはダメだ」と自分を奮い立たせています。
鶴久保コスモスには練習が始まる前に黒板に名前と今日の目標を書くという約束事がありました。今も、たまにミニバスの練習におじゃますると黒板に書いてあります。自分の中に目標があると、自分に負けそうになった時に「今日、これをやるって決めたじゃん」と、自分を戒めることができます。

--その方法はバスケットボールに限らず、勉強や生活でも役に立ちますね。

奥山さん そうですね。

--2年生でキャプテンを任せられた理由がわかりました。

奥山さん 私はミニバス時代から先輩の姿を見て頑張ってきました。自分が上級生になったら、私の背中を見て後輩がついてきてくれるような先輩になりたいと思っていました。その自覚と責任をもってやらなければいけないと思っています。(下級生の時に)先輩から声をかけてもらった時はうれしかったので、そういう体験を生かして、自分がいいなと思ったことを自分もやろうと思っています。

--奥山さんが思う長所、短所を教えてください。

奥山さん なにか1つのことに取り組む時に、一生懸命まじめに取り組めるところがいいところかなと思っています。勉強にしろ生活にしろ、きちんとした姿勢で取り組むということは、とても大事なことだと思います。短所はなんでしょう。たまに天然と言われます(笑)。「オン・オフがハッキリしている」とも……。抜けているところがあるのかもしれません。...

【高木先生談】かかわった人たちが皆、応援したくなる選手

奥山には2年生からキャプテンを任せています。3年生が少ないこともありますが、彼女をチームの軸に据えて、そこに集まるチームにしようと思ったからです。そういうキャプテンシーを持っている子です。例えば、試合が近づくと昼休みなどを使って対戦相手の映像を見ますが、何も言わなくてもその後に自分たちの試合の映像を見て「ああだね」「こうだね」と、みんなを巻き込んでディスカッションを始めます。自分だけではチームは強くならない。みんながついてきてくれなければいけない。それを知っているから自分もやるし、「みんなもやろうよ」という雰囲気をつくることができています。本校のバスケットボール部では、雪が降れば雪かきを、桜が散れば掃除をします。学校説明会があれば練習後に会場づくりを手伝う、試合会場でも後片付けを手伝うという当たり前のことを創部当初から大事にしていますが、彼女はそういうことも率先してやります。偉そうなところがまったくないので、みんなも「奥山さんと同じことをやっていれば、日本一になれるんじゃないか」という気持ちでやっていると思います。