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コラム

中学受験「最強の親」は、わが子を尊敬できる親

教育ジャーナリスト
おおたとしまさ

「親は無力」という悟りの境地へ

ちょっと気が早いかもしれないが、第一志望校入試本番当日を想像してみてほしい。

忘れ物がないかと何度も確認して、家を出る。学校に到着すると「保護者の付き添いはここまで」というところで、わが子を見送る。もうかけるべき言葉すらない。ただ目を見て、無言でうなずく。「大丈夫。自分を信じて」。そう念ずる。その思いが伝わったかのように子供も無言でうなずく。

その瞬間を最後に、わが子は自分に背中を向け、もう振り向かない。自分の目標に向かって前だけを見て歩む。その背中が、初めて塾に通い始めたときとは比べものにならないくらいに大きく見える。

志望校合格という目標に向かって、親子で全力を尽くして、泣いたり笑ったりする約3年間の末に親はようやく悟るのである。

「結局のところ、親は無力である」と。

思い返せば、塾に通い始める前はろくに勉強もしなかった子が、最後はまがいなりにも自分から勉強するようになった。難しい問題にはすぐに音を上げていた子が、どんな難問にも果敢に挑戦するようにもなった。そんな成長を間近に見て、親は、「この子は、最後は頑張る子。自分で自分の人生を切り拓く力のある子」と確信する。

子供だって、親が自分のために少なくない犠牲を払ってくれていることを感じる。ときどき衝突することはあっても、自分のことを大切に思ってくれていることは間違いないと確信する。言葉には出さなくても感謝の気持ちが芽生える。できれば親を喜ばせたいと思っている。

この時点でもうすでに、中学受験は成功している。

その土台があるからこそ、中学受験を終えて、本格的な思春期が始まったときにも、表面的には親子の衝突をくり返しながらも、お互いの心の底では相手を信頼する気持ちが揺るがない。子供は安心して反抗することができる。親は、子供を信じて見守ることができる。それがまた、親子の成長につながる。

中学受験のプロセス自体がすべて、親子にとってのかけがえのない財産になる。駆け抜けた、決して楽ではなかった約3年間の月日が、親子にとっての誇りになる。結果がどうであれ、その誇りが奪われることはない。

中学受験生への神様からの贈り物

さらに気が早いかもしれないが、すべての合否が判明したあとのことを、想像してみてほしい。そして、それぞれの状況にある未来のみなさんに、次の言葉をおくりたい。

まず、第一志望以外の学校に進むことになったひとたちへ。

第一志望以外の学校に進むことになったひとたちは、きっとその学校で、そこでしか得られなかった経験をし、そこでしか見ることのできない景色を見ることになるはずだ。一生の友達との出会いがあるかもしれないし、素晴らしい先生と巡り会うかもしれない。それが受験勉強を頑張ってきたみなさんへの神様からの贈り物。

でも注意深くしていないと、その贈り物に気付くことができない。だからこれから始まる中学・高校での生活を、大切に過ごさなければいけない。そうすれば、きっと神様からの贈り物に気付き、自分がこの学校に通うことになった理由がわかるはずだ。

次に、第一志望の学校に進むことになったひとたちへ。

第一志望に進学しても、理想とのギャップを感じることがあるかもしれない。でもそれは、神様から与えられた課題である。その課題をクリアしたときに得られるものこそ、神様からみなさんへの贈り物。

だから困難があっても逃げずに、乗り越えてほしいと思う。

そして、中学受験をやりきったすべてのみなさんへ。

どんな結果であっても、それまでの自分のがんばりに誇りをもってほしい。

どんなに優秀な子がどんなに努力を重ねても願いが叶わないことがある中学受験という選択に、全力で立ち向かったチャレンジ精神は、結果がどうであれ、一生の財産に必ずなる。

これから先の人生に、どんな困難があろうとも、12歳の冬を思い出して、気高い人生を歩み続けてほしい。

現実問題として、中学受験ができる人というのは限られている。そもそも近くにそういう学校がなければならないし、もちろん経済的な余裕も必要だ。中学受験とは、ごく一部の恵まれた人たちにしか与えられていない選択肢だ。

経済格差が教育格差につながるという批判もある。でもその批判は当たっていないと私は思う。恵まれた人が高度な教育を受けて、得するのは、教育を受けた本人だけではない。その人を含む社会全体である。

中学受験は、人生の勝ち組になるためにするのではない。将来、世の中に必要とされる人間になるために、自分を伸ばしてくれそうな学校を志し、子供たちは勉強しているのだ。

だから、恵まれたひとが、与えられた環境を最大限に活用して、それを世の中に還元するならば、格差云々よりも、世の中全体が良くなるというメリットのほうが大きいと私は思う。むしろ、恵まれた環境を最大限に活かして、将来世の中の役に立つことは、恵まれた人の使命だろう。

中学受験にのぞむ子どもたちに、そういう気概をもてというのは少々酷かもしれない。しかし少なくとも親には、そういうつもりで、子どもを中学受験に送り出してほしい。

中学受験生はヒーローだ

夜9時くらいに電車に乗って、中学受験生らしき小学生を見ると、それだけで胸がいっぱいになる。「かわいそう」とかいう意味ではない。たとえるならば、テレビでひたむきな甲子園球児を見るときとまったく同じ気分だ。

「君たちはここにくるまでにどんだけ努力してきたんだ。すごいな。試合に負ければ君たちの夏は終わるかもしれないけど、その努力は一生ものの財産だよな」と知りもしない選手の汗と涙を見て、勝手に感動する、あの気分だ。

「君たちはすごい。ヒーローだ。その努力は絶対報われる」と、私は心の中で彼らを応援する。いや、言い訳ばかりしてなかなか原稿を書き進められない自分の意志の弱さや気まぐれを反省し、彼らのことを心からリスペクトしたくなる。

中学受験生たちは、どんなに努力をしても報われないかもしれない、やめようと思えばいつでもやめられることに挑戦している。

たった12歳で、自分の力で、自らの進む道を切り開こうとしている。「本当に報われるのだろうか」不安になることもあるだろう。不安を感じたときこそ、さらに勉強に打ち込んでその不安を打ち消しているのだ。

かたや大人の世界では、なかなか業績が上がらないのをすぐ上司のせいにしたり、会社のせいにしたりする大人がそこら中にたくさんいる。電車の中で赤ら顔で大声を出すおじさん連中より、中学受験生のほうがよほど人間ができているとはいえないか。そういう大人には中学受験生の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいとすら思う。そのときは、もちろん私自身も飲むつもりである。

中学受験をしていると、わが子のダメなところにばかり目が向きがちになってしまう。成績がいい子も悪い子もいるだろう。しかし、彼らはみんな、自分なりのベストを尽くしている。模試の結果を受け入れ、たとえそれが悪い結果であったとしてもめげずに努力を続けている。尊敬されるべき存在だ。

ふがいなさよりも誇らしさを、絶望より希望を、努力するわが子の背中に感じよう。どんな状況においても、わが子を尊敬する気持ちを持ち続けよう。それが何よりの、親から子への励ましだろう。

そして、わが子のために、思いつくありとあらゆることをしたうえで、さらに拙稿を最後まで読む時間と労力を惜しまないみなさんも、十分に尊敬されるべき存在だ。中学受験生の親である自分自身にも、誇りを感じてほしい。

中学受験を志すすべての親子に、心からのエールを送りたい。