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コラム

中学受験勉強を頑張る子供を、潰す言葉、励ます言葉(1/2)

教育ジャーナリスト
おおたとしまさ

「捨てる勇気」こそ「親の責任」

嫌がおうにも中学受験親子を追い回すのが、塾の大量の宿題だ。いい成績を取るためには、当然たくさんこなしたほうがいい。親はあの手この手で少しでも多くの宿題を、子供にやらせようとする。

しかし「馬を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という諺がある。

水場に連れて行けば、いつでもがぶがぶと水を飲んでくれる馬も中にはいるかもしれないが、思い切り草原を駆け巡って喉がカラカラになるまで水を飲まない馬もたくさんいる。後者の場合、無理矢理水場に連れて行くこと自体が、時間と労力の無駄になるわけだ。

だから、多くの教育者は、「本人がやる気になるまで待つことが大事だ」と言う。“100%の正論”だ。でも実際のところ、なかなか水を飲んでくれないと、親としては焦る。

結論からいえば、塾の宿題を全部やる必要はない。

どんなに栄養がある食事だって、消化が追いつかないほど大量に食べれば嘔吐を促し、体力を減らすだけになる。適量を摂取するのがもっとも効率がいい。勉強も同じ。吸収できないほどの量を無理矢理押し込んだところで、役には立たない。宿題の量が多すぎると感じるのであれば、わが子にとっての適量を調整してやるのが親の役割である。ときには捨てる勇気も必要だ。

どうやって調整すればいいのか。簡単だ。塾の先生に聞けばいい。塾の先生だって、無理矢理全部の宿題をやらせるつもりはない。

特に大手進学塾では、上のほうのレベルの生徒に合わせて宿題の量が考えられているので、下のほうのレベルの生徒には、負荷が大きすぎることがある。そこは各自調整していいのだ。そして、宿題の中で、どこの優先順位が高くて低いのかは、講師がいちばんよくわかっている。それを率直に聞けばいい。

親と塾講師の間でそういうコミュニケーションがあれば、宿題が全部終わっていなくても、子供は堂々と塾に通える。着実に力をつけ、余力が出てきたら、少しずつ宿題をやる量を増やしていけばいい。

仮に塾の先生からはもっとやったほうがいいとアドバイスされても、親の目から見て「いまの状態でこれ以上はやらせても、効果は期待できない」と思うのなら、「それ以上やらなくていいよ」と言ってあげることもときには必要だ。塾の先生にも堂々と事情を説明すればいい。そういうときこそ、“親の責任”の出番である。

アクセルを踏み込むのはあくまでも本人の意志。隣にいる親が勝手にアクセルを踏んでしまうのは事故のもと。逆にこれ以上アクセルを踏み込んだら危ないというときにブレーキを踏んでやることこそ、親の役割だと考えよう。

自分でも知らないうちに親が勝手にアクセルを踏んでいたら、子供は自分でアクセルを踏み込めなくなってしまう。でも、万が一というときには親がブレーキをかけてくれるという安心感があればこそ、自分で思い切りアクセルを踏み込むことが可能になる。それが中学受験親子の理想の信頼関係といえる。

そういう客観的な判断が常にできるようにするために、親はあくまでも第三者として子供を支える立ち位置にいたほうがいい。その意味で、子供に勉強...

子供のやる気を潰すNGワード

家庭が安心できる空間でなければ、子供は力を発揮できない。親は、勉強を教えることや、子供を管理することよりも、子供を安心させリラックスさせることを第一に考えてほしい。

でも実際は、朝から学校に通い、ほとんど休む暇もなく塾で猛勉強をしてきた子供に、家に帰ってきてからもこんな言葉をかけてしまっていないだろうか。

「早く勉強しなさい」
たぶん、ぎりぎりまで言うのを我慢したうえでのことだろう。でもこれを言われた瞬間に「いまやろうと思っていたのに(やる気なくした)」と子供は感じる。大人だって、「やらなきゃいけない(けどなかなかエンジンがかからない)」というときに「早くして!」と急かされたら、なおさらやる気をなくすということがあるはずだ。

せめて「いつから始めるつもりなの?」などと、本人の意思を尊重する言い方にしたほうがベター。それでも子供は急かされていると感じるかもしれないが。

毎日「そろそろ勉強しようかな」「いや、まだいいかな」という心の葛藤を感じることは子供自身にとってもストレスになる。本当は、「5時になったらとりあえず机に座る」というように、まずは「行動」を習慣化してしまうことが大事である。「行動」を変えれば「気持ち」はあとから付いてくる。

「もっと集中しなさい」
集中力をコントロールすることは、トップアスリートでも難しい。5分おきに机を立ったり、ぼーっとノートを眺めているだけだったりと、端から見ていて明らかに集中できていないように見えることはあるだろう。でもそこで「集中しなさい」と言われても、集中したふりをするのが、関の山。

集中してやれば数十分で終わるものならいいけれど、中学受験勉強は毎日長時間におよぶもの。その間ずっと集中しているなんて不可能だ。調子が出ない日もあるだろう。本当なら、そんな日は早めに切り上げて気分転換するのがいちばんなのだが、毎日の課題をこなさなければいけない現実がある限り、そう悠長なことは言っていられない。

そんなときは、課題を小さく区切って、「ここまでやったらおやつにしよう」などと、小さな目標を定めるのが一つの方法だ。

膨大な課題を終わるまで勉強を終えることができないというスタイルは考えもの。たとえば「夜10時30分を超えてしまったら課題が終わっていなくても寝る」などとおしりを決めてしまったほうがいいと私は思う。課題が終わらなくて困るのは自分だから、決められた時間の中でなんとか課題を終わらそうという気持ちが芽生える。

時間が有限であることを身に沁みて学ぶことも、中学受験の一つの効能といえる。

「こんな点数じゃ○○中学は無理」
テストの結果が志望校にはほど遠い場合、つい言いたくなってしまう気持ちは十分わかる。でも、そのことは本人がいちばんよくわかっていること。本人だって傷ついているはずだ。そこにさらに塩を塗るようなことは避けなければならない。

思わずこのセリフが口を突いて出てきてしまうときというのは、おそらく、テストを受ける前にだらけていたり、サボっていたりという伏線があってのことだろう。テストの結果というよりも、テストの前の態度を戒めたいがために言っている場合も多いはずだ。

しかし、親の「無理」という言葉は、子供にとっては強力な呪文となる。「僕はもう無理なんだ」と自己暗示をかけてしまいかねない。

こんなときは、一度怒りや焦りを鎮めてから、「この結果についてどう思う?」「どうしてこういう結果になったと思う?」と、本人の意識をたしかめるような会話を心がけよう。本人が気付かないとどうしようもないことだから。

本人が自ら考えて気付き改めようとする前に親が「こうしなさい」「ああしなさい」と指図としてしまうと、本人から気付きのチャンスを奪ってしまう。すると、いつまでたっても毎回親が指図しないとやらない子になってしまう。それでは親子ともに疲弊してしまうのは時間の問題だ。

「そんな気持ちでやるくらいなら、中学受験なんてやめてしまいなさい」
子を思うあまり、親はときに、心にもないことを言ってしまうもの。このセリフなんて、その典型ではないだろうか。もしここで、「わかった。やめる」と子供が言ったら、きっとほとんどの親は、動揺を隠しながら、なんとか「やっぱりやる」といわせる方向に誘導しようとするはずだ。言ってから後悔するような言葉を言うべきではない。ではどうしたらこういう非建設的なことを言わなくてすむのだろうか。

このような言葉が口を突くときというのは、おそらく、ふがいない子供の状況を見ているストレスに、親自身がたまりかねてしまっているときである。つまり、対処としては、子供を変えるよりも、自分を変えるほうが早い。

子供の中学受験のことばかりを考えるのではなく、たまには気分転換の時間をもつのもいいだろう。テストの点数には表れていないかもしれないが、子供が子供なりに頑張っていたシーンを意識的に思い出してみてもいいだろう。