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コラム

思考コードと礼法~<B軸>思考が<C軸>思考に広がる法

聖パウロ学園校長/私立学校研究家 本間勇人

桜蔭、共立女子、光英VERITASなど多くの私立女子中高一貫校では、小笠原流の礼法をカリキュラムに導入しています。この礼法のプログラムを首都圏模試センターの代表取締役山下一さんが【思考コード】であてはめて分析しました。

こうしてみてみると、【思考コード】はまるで茶室の空間のように見えてきます。もともと礼法は現代日本の文化の原型をつくったともされている足利義満の時代に遡るといわれています。その時代に生まれた武家の礼法です。

ですから、この礼法は茶道や華道にも通じるし、武道にも通じます。あのエジソンが、座右の銘としたのは新渡戸稲造の著書【武士道】だったというのは有名ですし、スティーブ・ジョブスがZENに魅力を感じ、GAFAがマインドフルネスを取り入れているという話もよく耳にします。

なるほど、【思考コード】の横軸を「A軸=守」「B軸=破」「C軸=離」と置き換えると、見事なまでに武家の法としての礼法のシステムを分析できます。

作法という型を学ぶ段階はA軸です。知識・技能を習得するということです。そしてその段階も3つのステージがあるのは、ものごとは上達という概念がありますから腑に落ちます。

しかしながら、どんなにすばらしい作法を習得してもそれを実際に活用・適用できなければ道半ばです。そこで「B軸=破」の段階に進むわけです。お師匠さんに倣った作法を試行錯誤しながら実践していきます。手順や重みづけが大事です。固定的な型は崩れ変幻自在な型が生まれるのもこの段階でしょう。たしかに、この段階は、「応用・論理」的な思考体験の段階です。そしてやはりステージも3つあります。達人の道はまだまだ遠いわけです。

B3という作法を与えられた空間で相手の人と接するときのマナーを臨機応変に、それでいて作法の基本は変えずに応用するステージに到達したとします。するとそれで達人かというとそうではありません。

「C軸=離」という「型」から自由になる段階が待っています。茶室の亭主は、茶をたてておもてなしするだけではないのです。茶室という建物の空間そのものを設計し、茶会のプロデュースまでを行うのです。

最終的には、人々の心のやすらぎや平和の世界を創造するという<C3>の段階が達人の境地というわけです。

明治維新の時、西洋人が江戸の街を訪れたとき、大名庭園という空間に魅せられ、庶民の住む路地にまで小さな庭園のごとき花々が咲いている空間を見てパラダイスだと感じたそうです。

それを目に焼き付けて帰国した西洋人は、大名庭園をモデルにした今でいう環境にやさしい庭園都市を創りました。

一方日本は近代化を進め、大名庭園を取り壊し、街づくりを欧米化していきました。渋沢栄一の煉瓦工場はフル回転でした。丸の内あたりはどんどんイギリス流の煉瓦づくりの建物が立ち並んでいきました。

そんな折、渋沢栄一の息子がイギリスの田園都市レッチワースを訪れ、衝撃を受けます。自然と都市と人間の精神が循環した理想都市をみたのです。イギリスは産業革命の国ですからすでに公害が発生していて、環境にやさしい都市づくりの実験が各所で行われ、それがヨーロッパに広がっていたのです。

日本も欧米化の光と影がすでにありましたから、渋沢栄一の息子は、帰国するや渋沢栄一と相談してつくった都市が今の田園調布です。

渋沢栄一は、たしかに日本の資本主義の父ですが、それは今でいう欲望の資本主義ではなく、経済道徳一元論という思想の持ち主で「論語と算盤(そろばん)」という著書はそれを物語っています。

そのため、今でいう環境都市の先駆けの田園調布をつくるのに協力したのでしょう。関東大震災でも安心安全だったということもあったし、今の東京都市大附属等々力の創設者である五島慶太も協力しました。

環境にやさしいとは、自然と都市が融合しなければならないのですが、それをつなぐには知が必要であるともともと教師を目指していた五島慶太は大学誘致を戦略的に進めて東急線や田園都市線、目蒲線を開発していきました。

その精神は今も東急電鉄に受け継がれ、見事に私立中高一貫校の集積エリアにもなりました。まさに礼法の<C3>の思考発想が生み出した都市といえましょう。